張羨

張羨(ちょうせん)は劉表の長沙太守で、反旗を翻して桓階の劉表への抗拒に呼応し、後に病死した。
出典
原典に張羨が登場する箇所
正史 · 巻 6『三国志』
…長沙太守張羨叛表,〈《英雄記》曰:張羨,南陽人。先作零陵、桂陽長,甚得江、湘間心,然性屈彊不順。…
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袁術之在南陽也,與孫堅合從,欲襲奪表州,使堅攻表。堅爲流矢所中死,軍敗,術遂不能勝表。李傕、郭汜入長安,欲連表爲援,乃以表爲鎮南將軍、荊州牧,封成武侯,假節。天子都許,表雖遣使貢獻,然北與袁紹相結。治中鄧羲諫表,表不聽,〈《漢晉春秋》曰:表荅羲曰:「內不失貢職,外不背盟主,此天下之達義也。治中獨何怪乎?」〉羲辭疾而退,終表之世。張濟引兵入荊州界,攻穰城,爲流矢所中死。荊州官屬皆賀,表曰:「濟以窮來,主人無禮,至於交鋒,此非牧意,牧受弔,不受賀也。」使人納其衆;衆聞之喜,遂服從。長沙太守張羨叛表,〈《英雄記》曰:張羨,南陽人。先作零陵、桂陽長,甚得江、湘間心,然性屈彊不順。表薄其爲人,不甚禮也。羨由是懷恨,遂叛表焉。〉表圍之連年不下。羨病死,長沙復立其子懌,表遂攻并懌,南收零、桂,北據漢川,地方數千里,帶甲十餘萬。〈《英雄記》曰:州界羣寇旣盡,表乃開立學官,博求儒士,使綦毋闓、宋忠等撰五經章句,謂之後定。〉
正史 · 巻 22『三国志』
桓階字伯緒,長沙臨湘人也。〈魏书曰:阶祖父超,父胜,皆历典州郡。…
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桓階字伯緒,長沙臨湘人也。〈魏书曰:阶祖父超,父胜,皆历典州郡。胜为尚书,著名南方。〉仕郡功曹。太守孫堅舉階孝廉,除尚書郎。父喪還鄉里。會堅擊劉表戰死,階冒難詣表乞堅喪,表義而與之。後太祖與袁紹相拒於官渡,表舉州以應紹。階說其太守張羡曰:「夫舉事而不本於義,未有不敗者也。故齊桓率諸侯以尊周,晉文逐叔帶以納王。今袁氏反此,而劉牧應之,取禍之道也。明府必欲立功明義,全福遠禍,不宜與之同也。」羡曰:「然則何向而可?」階曰:「曹公雖弱,仗義而起,救朝廷之危,奉王命而討有罪,孰敢不服?今若舉四郡保三江以待其來,而爲之内應,不亦可乎!」羡曰:「善。」乃舉長沙及旁三郡以拒表,遣使詣太祖。太祖大悦。會紹與太祖連戰,軍未得南。而表急攻羡,羡病死。城陷,階遂自匿。久之,劉表辟爲從事祭酒,欲妻以妻妹蔡氏。階自陳已結婚,拒而不受,因辭疾告退。
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張羨は劉表(りゅう ひょう)の治下にあった長沙(ちょうさ)の太守で、『三国志』(さんごくし)の関連記録に見える人物である。『演義』には登場しない。
事績
- 張羨は南陽(なんよう)の人で、かつて零陵(れいりょう)と桂陽郡(けいようぐん)の長官を務め、江湘地方の人々から厚い支持を得ていた。気性が強情で従順ではなく、劉表は彼の人柄を軽んじ、あまり礼遇しなかったため、張羨は恨みを抱いて劉表に反旗を翻した。(史書の記載)
- 劉表は張羨を包囲攻撃したが、何年も攻め落とせなかった。張羨が病死すると、長沙ではその子の張懌を擁立し、劉表はその後、張懌を攻め滅ぼした。(史書の記載)
- 官渡の戦い(かんとのたたかい)の期間中、桓階(かんかい)は張羨に、長沙と周辺の三郡を挙げて劉表に対抗し、使者を派遣して曹操(そうそう)に帰順するよう勧めた。張羨はその進言を受け入れたが、劉表が急攻し、張羨は病死した。(史書の記載)
関係
台詞
- 史 ch.22 §3→ 桓階
「然則何向而可?」

続けて読む
張懌
親族
関係の年表1 件 ▸
正史 · 巻 22
- 曹操§3
主君
長沙とその周辺の三郡を挙げて劉表に対抗し、使者を曹操のもとへ遣わした