刁玄

刁玄(ちょうげん)は呉の侍中・五官中郎将を務め、孫登の賓客となり、蜀への使節として乱を告げ、孫基の赦免を願った。
登場
正史 3 巻
ランキング
各ランキングでの順位。
刁玄は三国(さんごく)時代、呉の侍中・五官中郎将・太子賓客を務め、『三国志(さんごくし)』の関連記述に見える人物である。演義には登場しない。
事績
- 孫登(そん とう)が太子だった頃、刁玄は謝景、范慎、羊衜らとともに賓客に列し、東宮は多士が集うところと称された。(史書の記載)
- 孫登が病篤くして上疏した際、刁玄を「度量が広く、志と行いが道の真髄にかなっている」と評し、任用に適するとした。(史書の記載)
- 孫亮(そん りょう)が、孫基(そん き)が御馬に盗み乗った罪は何に当たるか尋ねたところ、侍中の刁玄は法に照らせば死罪に当たると答えたが、孫亮に憐れみをもって罪を免じるよう願い出た。孫亮はその後、宮中の者たちを赦免し、孫基は罪を免れた。(史書の記載)
- 劉惇(りゅうとん)は術数に精通しており、名儒の刁玄はその術を奇異なものと評した。(史書の記載)
- 太平元年十二月、刁玄は五官中郎将として蜀国へ使節に立ち、呉の内乱を知らせた。(史書の記載)
関係
- 呉の侍中・五官中郎将を務めた。
- 孫登の太子賓客を務めた。
- 劉惇と術数への評価を通じて関わり、その術を奇異なものと評した。
台詞
- 史 ch.59 §26→ 孫亮
「科應死。然魯王早終,惟陛下哀原之。」

続けて読む
孫亮
主君
孫亮へ →