言語
杜

曹魏(そうぎ) · 军谋祭酒

杜夔

登場回
1
台詞の記録
1
人間関係
0
内面の独白
1

史載(Historical Record)

杜夔、字は公良、本籍は河南である。彼はその卓越した音楽の才能によって雅楽郎に任じられた。中平五年、杜夔は病により官を辞した。乱世に遭い、彼は州郡や司徒に召し出されたものの、荊州(けいしゅう)へ赴くことを選び、荊州牧の劉表(りゅう ひょう)に身を寄せた c:5726。劉表の帳下で、杜夔は孟曜とともに漢朝の天子のために雅楽を合奏する役を担った。雅楽の準備が整い、劉表が庭で自ら鑑賞しようとした際、杜夔は諫言した。「今、将軍は天子のために楽を合わせるのではなく、庭で奏でようとなさる。それは不可ではありますまいか。」劉表は彼の進言を容れ、庭での鑑賞を取りやめた c:5726。

後に、劉表の子の劉琮(りゅうそう)が曹操(そうそう)に降伏し、杜夔もそれに従って曹魏(そうぎ)の陣営に入った。曹操は杜夔を軍謀祭酒に任じ、太楽の事務に参与させ、雅楽を制定するよう命じた c:5726。黄初年間、杜夔は太楽令・協律都尉に昇進した。当時、柴玉という漢朝の鋳鐘の工匠がおり、技芸に優れ、当時の人々にかなり重んじられていた。杜夔は柴玉に銅鐘を鋳造させたが、鋳造された鐘は音色の清濁の点で規範に合わぬところが多く、杜夔はたびたび壊して鋳直すよう求めた。柴玉はこれに不満を抱き、杜夔の清濁の判断はあまりに恣意的だと考え、杜夔に対して多く抵抗した。杜夔と柴玉はこの件についてそれぞれ曹操に上申した。曹操は自ら鋳造された鐘を検分し、繰り返し聴き比べた末、最終的に杜夔の判断が的確であり、柴玉には妄言の嫌いがあると認定した。そこで、柴玉とその子弟はみな罪に問われ、馬を養う士に貶められた c:5728。

魏の文帝・曹丕(そうひ)は柴玉をかなり寵愛していた。あるとき、曹丕は杜夔と左𩥄らに賓客の前で笙を吹き琴を弾くよう命じたが、杜夔は難色を示し、これが曹丕の不興を買った。後に、曹丕は別の事由で杜夔を投獄し、左𩥄らに杜夔から学ばせた。杜夔は自らの学ぶところこそ雅楽の正統であり、また官途にも本があると自負していたため、心中なお不満を抱いていた。最終的に、彼は罷免され、鬱々として世を去った c:5728。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』において、杜夔という人物に対する文学的な造形は行われておらず、したがって小説における彼の具体的な挿話や対話はない。史伝の資料における杜夔の人物像、すなわち音律に精通し剛直に諫言する雅楽の官という姿は、演義では言及されておらず、史実との乖離を比較することもできない。杜夔は『三国演義』においては史に明記のない人物である。

主要な関係

* 劉表集団(serves):杜夔は乱世にあって荊州牧の劉表に身を寄せ、彼のために雅楽を合奏した。彼はかつて、天子のために用意された雅楽を劉表が庭でひそかに鑑賞すべきではないと率直に諫め、礼制への堅持を体現した c:5726。
* 曹魏(serves):劉琮が曹操に降伏した後、杜夔は曹操の麾下に入り、軍謀祭酒に任じられ、雅楽の制定を担当した。曹魏の時代、彼は鋳鐘の工匠である柴玉と音律の問題で争いを生じ、最終的に曹操が杜夔を正しいと裁定した。しかし、彼と魏の文帝・曹丕との関係は円満ではなく、演奏の場で不興を示したことが曹丕の不満を招き、最終的に罷免された c:5728。

象徴的な場面

* 劉表の庭での雅楽鑑賞を諫め止める:杜夔は劉表のために雅楽を合奏したが、劉表が庭で鑑賞しようとした際、杜夔は率直に諫めた。「今、将軍は天子のために楽を合わせるのではなく、庭で奏でようとなさる。それは不可ではありますまいか。」劉表は彼の進言を容れた c:5726。この場面は、礼楽制度に対する杜夔の深い理解と堅持を示している。
* 柴玉と音律を論じ、曹操が裁決する:杜夔は曹魏の時代、鋳鐘の音色の問題で工匠の柴玉と争いを生じた。曹操は自ら検分した後、杜夔の判断が的確であると裁定し、柴玉を罰した。これは音律における杜夔の専門的な造詣を際立たせるだけでなく、曹操の雅楽への重視と、その明察秋毫の判断力をも体現している c:5728。
* 演奏への態度が曹丕の怒りを買う:魏の文帝・曹丕はかつて杜夔に賓客の前で笙を吹き琴を弾くよう命じたが、杜夔は難色を示し、曹丕の不興を招いた。この出来事は最終的に杜夔が罷免される原因の一つとなり、その剛直な性格と人に媚びることを善しとしない一面を反映している c:5728。

人間関係

0 件の関係

无

台詞

  • 史 ch.29 §25→ 劉表(りゅう ひょう)

    「今將軍號(不)為天子合樂,而庭作之,無乃不可乎!」

登場回1 回 ▸
  • 史ch.29
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は杜夔(と き)、字は公良(こうりょう)、河南の人である。若い頃から音律をよく知ることで知られ、雅楽郎に任じられた。中平五年、病のため官を辞した。思えば、世の乱れが次第に深まるなか、州郡の司徒が礼を尽くして私を招いたものの、私はついに乱を