孫権集団 · 軍師
張溫
193–約230

張温(ちょうおん)は孫呉の名士・使臣で、史書では蜀への使節と東宮の人選への参与が記され、演義では蜀で秦宓と論争する。
生涯
演義 3 回 · 正史 8 巻
ランキング
各ランキングでの順位。
史実
張温(ちょうおん)は字を恵恕(けいじょ)といい、呉郡呉県の人で、孫呉(そんご)から蜀漢(しょくかん)へ派遣された使者である。黄武三年、孫権(そん けん)は輔義中郎将の張温を蜀へ聘問に遣わした。同年秋、魏の文帝・曹丕(そうひ)は広陵(こうりょう)まで進み、長江を眺めて「かの地には人材がいる。まだ攻略することはできない」と述べ、その後、引き返した。史書はこの使節派遣を記しているが、張温が蜀でどのような問答を交わしたかは述べていない。
別の史書には、彼が呉の朝廷で過ごした経歴が記されている。呉王の孫権は唐固を儀郎に任用し、陸遜(りくそん)、張温、駱統らはみな唐固に師事したことがある。このことから、張温が呉の儒学者たちと交流していたことがうかがえる。『三国志(さんごくし)』には、張温が太傅を務め、太子の孫登(そん とう)に、徳と才能に優れ、側近として親しく問答できる中庶子を選ぶよう孫権に進言したことも記されている。その後、東宮の臣下たちは四友に任ぜられ、謝景、范慎、刁玄、羊衜らも賓客に列した。 したがって、史書に描かれる張温は外交使節を務めただけでなく、呉の朝廷や東宮の文教事業にも携わっていた。これらの記録からは、名士としての地位をもち、朝廷から重用された呉の臣下の姿が浮かび上がる。
演義
『三国志演義』は、張温を孫権の配下にある名士であり、使者として描いている。まず、闞沢(かんたく)、厳畯(げんしゅん)、薛綜(せつそう)、程秉(ていへい)ら文士とともに、孫権が招き集めた江東の賓客の一人として登場させ、江東に人材が豊かであることを印象づけている。 諸葛亮(しょかつりょう)の舌戦群儒(ぜっせんぐんじゅ)の場面では、張温と駱統も続けて質問しようとするが、黄蓋(こうがい)に制止される。これにより張温は東呉の文臣たちの一員として描かれ、儒者たちを相手にする諸葛亮の鋭さが際立つ。
第八十六回では、張温は外交の場面の中心へと押し出される。自ら蜀への使節を志願し、諸葛亮も「ただの人間ではないか」と自信を示したうえで、鄧芝(とうし)とともに蜀へ赴き、友好を結ぶ。 蜀での宴席では、張温は秦宓(しんふく)に「胸中に学問があるのかどうか、まだ知らぬ」と皮肉を言い、天に頭や耳、足、姓があるか、また太陽は東から昇るのかと次々に問いかける。秦宓は経典を引いて一つひとつ答えた後、天が西北に傾く理由を問い返す。張温は答えられず、ついには席を離れて礼を述べる。 勝敗のはっきりしたこの応酬は、外交使節の人物像を文学的に描いたものである。史書にも張温が蜀へ聘問に赴いたことは記されているが、蜀で秦宓と論戦を交わしたことも、秦宓に言い負かされたことも記されていない。この問答と具体的な結末は、『三国志演義』による創作である。
主な関係
張温と孫権の関係は、君主が臣下を任用する関係として描かれている。史書には、張温が命を受けて蜀へ聘問に赴いたことと、東宮の人材登用について孫権に進言したことが記されている。一方、『三国志演義』では、孫権が張温の出使の申し出を聞き入れ、褒美を与え、鄧芝と同行させたことが強調される。 張温と鄧芝の関係は、どちらの資料でも呉と蜀の友好に結びついている。史書には、呉が張温を蜀への返礼の使者として派遣したとあり、『三国志演義』では、張温が鄧芝とともに蜀へ赴き、帰路も同行したと描かれる。具体的な同行の場面は『三国志演義』に見える。
張温と秦宓の対決は、小説における最も際立った関係の一つである。張温がまず学問を試すように問いかけ、秦宓は経典に基づいて答え、さらに天が西北に傾く道理を問い返して、張温を言葉に詰まらせる。この勝負は、小説が描く秦宓の弁舌を示すとともに、自信たっぷりに問いかける側だった張温が、最後には感服する側へと変わる様子を描いている。二人のこの応酬は『三国志演義』独自のもので、史書には張温が蜀へ聘問に赴いたことだけが記され、この出来事は載っていない。 張温と唐固、孫登の関係は史書に見える。張温はかつて唐固に師事し、太傅として孫権に東宮の側近の人選を進言した。
象徴的な場面
史書に記された使節派遣の場面は簡潔で明確である。黄武三年、張温は輔義中郎将として孫権の命を受けて蜀へ赴き、呉を代表して聘問を行った。この出来事は、同年に魏の文帝が広陵へ出て長江に臨み、引き返したという背景と並んで記され、当時、呉と蜀の交流と長江の防衛情勢が併存していたことを示している。 史書にはまた、張温が東宮の制度づくりに関わった一幕も残されている。孫登が太子となった後、張温は中庶子には「俊徳」の人物を選び、身近に侍って親しく問い、近くで答えられる者がふさわしいと進言した。この記述からは、皇太子の教育と官職の任用に対する彼の関心がうかがえる。
『三国志演義』で最も劇的なのは、蜀の城南にある郵亭で開かれた送別の宴である。張温は宴席で秦宓を見下し、天象について次々と尋ねる。秦宓は『詩』を引き、天の頭は西にあり、天には耳と足があり、姓は劉(りゅう)であると答える。張温が太陽は東から昇るのかとさらに尋ねると、秦宓は、東から昇るが西に沈むと答える。その後、秦宓は、天は軽く澄んで上に浮いているのに、なぜ西北に傾いているのかと問い返す。張温は答えられず、席を離れて謝意を示すほかなく、孔明は巧みな言葉で彼を取りなす。この宴席での問答、張温が感服する場面、孔明が取りなす場面はいずれも『三国志演義』独自のものである。史書に記されているのは、張温が命を受けて蜀へ聘問に赴いたことだけであり、この宴席や問答は載っていない。
名言
全 5 件の台詞 · 厳選 2 件
「彼何人也?」
「夫中庶子官最親密,切問近對,宜用儁德。」

続けて読む
諸葛亮
友