鄭胄

鄭胄(ジョン・ジョウ)は東呉の官吏で、遼東へ使節として赴き、宣信校尉・執金吾を務め、民乱の討伐にも加わった。
出典
原典に鄭胄が登場する箇所
正史 · 巻 47『三国志』
…〈文士傳曰:胄字敬先,沛國人。父札,才學博達,權爲驃騎將軍,以札爲從事中郎,與張昭、孫邵共定朝儀。…
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二年春〈《江表傳》載權正月詔曰:「郎吏者,宿衞之臣,古之命士也。間者所用頗非其人。自今選三署皆依四科,不得以虛辭相飾。」〉三月,遣使者羊衜、鄭冑、將軍孫怡之遼東。擊魏守將張持、髙慮等,虜得男女。〈文士傳曰:胄字敬先,沛國人。父札,才學博達,權爲驃騎將軍,以札爲從事中郎,與張昭、孫邵共定朝儀。胄其少子,有文武姿局,少知名,舉賢良,稍遷建安太守。呂壹賓客於郡犯法,胄收付獄,考竟。壹懷恨,後密譖胄。權大怒,召胄還,潘濬、陳表幷爲請,得釋。後拜宣信校尉,往救公孫淵,已爲魏所破,還遷執金吾。子豐,字曼季,有文學操行,與陸雲善,與雲詩相往反。司空張華辟,未就,卒。臣松之聞孫怡者,東州人,非權之宗也。〉零陵言甘露降。夏五月,城沙羨。冬十月,將軍蔣秘南討夷賊。秘所領都督廖式殺臨賀太守嚴綱等,自稱平南將軍,與弟潛共攻零陵、桂陽,及搖動交州蒼梧、鬱林諸都,眾數萬人。遣將軍呂岱、唐咨討之,歳餘皆破。
正史 · 巻 48『三国志』
…鄱陽、新都民爲亂,廷尉丁密、步兵校尉鄭胄、將軍鍾離牧率軍討之。…
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五月,魏征東大將軍諸葛誕以淮南之衆保壽春城,遣將軍朱成稱臣上疏,又遣子靚、長史吳綱諸牙門子弟爲質。六月,使文欽、唐咨、全端等步騎三萬救誕。朱異自虎林率衆襲夏口,夏口督孫壹奔魏。秋七月,綝率衆救壽春,次于鑊里,朱異至自夏口,綝使異爲前部督,與丁奉等將介士五萬解圍。八月,會稽南部反,殺都尉。鄱陽、新都民爲亂,廷尉丁密、步兵校尉鄭胄、將軍鍾離牧率軍討之。朱異以軍士乏食引還,綝大怒,九月朔己巳,殺異於鑊里。辛未,綝自鑊里還建業。甲申,大赦。十一月,全緒子禕、儀以其母奔魏。十二月,全端、懌等自壽春城詣司馬文王。
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鄭胄は東呉の人物で、『三国志(さんごくし)』巻四十七・巻四十八に見える。『演義』には登場しない。
事績
- 赤烏二年(239)、鄭胄は羊衜・孫怡に従って遼東へ使節として赴き、魏の守将である張持(ちょうじ)・高慮(こうりょ)らを攻撃した(史書の記載)。
- 建安太守を務めていた時、鄭胄は呂壹の賓客を捕らえて審理を終結させた。呂壹はこれを恨んで讒言し、鄭胄は召還されたが、その後、潘濬(はんしゅん)・陳表(ちんひょう)の取りなしにより釈放された(史書の記載)。
- その後、鄭胄は宣信校尉に任じられ、公孫淵(こうそんえん)の救援に向かったが、到着した時にはすでに公孫淵は魏軍に敗れていた。鄭胄は帰還後、執金吾に昇進した(史書の記載)。
- 歩兵校尉を務めていた時、鄭胄は丁密(ていみつ)・鍾離牧と軍を率いて鄱陽・新都(しんと)の民衆の反乱を討伐した(史書の記載)。
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