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宗瑋

宗瑋の肖像
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宗瑋(そうい)は蜀漢(しょくかん)の太中大夫で、劉備(りゅうび)の命を受けて呉に赴き、復命した。

正史 『三国志』巻32 · 『演義』に登場せず

出典

原典に宗瑋が登場する箇所

  • 正史 · 巻 32『三国志』

    …先主許之,遣太中大夫宗瑋報命。冬十二月,漢嘉太守黃元聞先主疾不豫,舉兵拒守。
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    二年春正月,先主軍還秭歸,將軍吳班、陳式水軍屯夷陵,夾江東西岸。二月,先主自秭歸率諸將進軍,緣山截嶺,於夷道猇亭〈猇,許交反。 〉駐營,自佷山〈佷,音恆。〉通武陵,遣侍中馬良安慰五谿蠻夷,咸相率響應。鎮北將軍黃權督江北諸軍,與吳軍相拒於夷陵道。夏六月,黃氣見自秭歸十餘里中,廣數十丈。後十餘日,陸議大破先主軍於猇亭,將軍馮習、張南等皆沒。先主自猇亭還秭歸,收合離散兵,遂棄船舫,由步道還魚复,改魚复縣曰永安。吳遣將軍李異、劉阿等踵躡先主軍,屯駐南山。秋八月,收兵還巫。司徒許靖卒。冬十月,詔丞相亮營南北郊於成都。孫權聞先主住白帝,甚懼,遣使請和。先主許之,遣太中大夫宗瑋報命。冬十二月,漢嘉太守黃元聞先主疾不豫,舉兵拒守。

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ほか 3 件

宗瑋は蜀漢(しょくかん)の太中大夫で、『三国志(さんごくし)』巻三十二に記載されている。演義にはこの人物は登場しない。

事績

劉備(りゅうび)が白帝にいたとき、孫権(そん けん)が使者を遣わして和睦を求めた。劉備がこれに応じた後、宗瑋を呉国へ派遣し、返答を伝えさせた(史書に記載)。

関係

  • 劉備の命を受け、呉国へ使者として赴き、返答を伝えた。

人間関係

1 件の関係

宗瑋 の人物関係図劉備宗瑋
  • 君臣
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劉備

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劉備

主君

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正史 · 巻 32

  • 劉備§42

    主君

    劉備の太中大夫として、孫呉へ使節に赴いた