言語

蜀漢

白虎文

白虎文の肖像
他の人物と同じ場面に →

白虎文(はくこぶん)は涼州(りょうしゅう)の胡王で、延熙十年に蜀へ降り、姜維(きょうい)に迎えられ慰撫された。

正史 『三国志』巻33 · 『演義』に登場せず

出典

原典に白虎文が登場する箇所

  • 正史 · 巻 33『三国志』

    十年,涼州胡王白虎文、治無戴等率眾降,衛將軍姜維迎逆安撫,居之於繁縣。…
    段落全文を読む

    十年,涼州胡王白虎文、治無戴等率眾降,衛將軍姜維迎逆安撫,居之於繁縣。是歲,汶山平康夷反,維往討,破平之。

ランキング

各ランキングでの順位。

ほか 2 件

白虎文は蜀漢(しょくかん)が受け入れた涼州(りょうしゅう)の胡王で、『三国志(さんごくし)』の関連記載に見える。演義にはこの人物は登場しない。

事績

延熙十年、白虎文は治無戴らとともに軍勢を率いて蜀漢(しょくかん)に降伏した。姜維(きょうい)は彼らを迎えて慰撫し、繁県に住まわせた。(史書の記載)

関係

  • 治無戴らとともに軍勢を率いて蜀に降伏し、姜維(きょうい)が彼らを迎えて慰撫した。
蜀漢

続けて読む

蜀漢

所属勢力

蜀漢(しょくかん)は三国(さんごく)時代に劉備(りゅうび)が建てた政権で、国号は漢といい、通常は蜀漢と称される。建安十六年(211)、劉備は劉璋(りゅう しょう)の招きに応じて益州(えきしゅう)に入り、その後、方針を転じて益州を攻め取り、諸葛亮(しょかつりょう)らとともに成都(せいと)を包囲した。成都を平定した後、劉備は諸葛亮を軍師将軍に任じ、左将軍府の事務を処理させた。章武元年(221)、劉備は成都で皇帝に即位し、劉禅(りゅう ぜん)を皇太子に立てた。 223年、劉備が死去すると、劉禅は成都で跡を継いだ。当時、十七歳だった。諸葛亮は後事を託されて政務を補佐し、丞相として内外の政務を総括した。 蜀漢は益州を統治の基盤とし、曹魏(そうぎ)との戦いを続けた。諸葛亮は軍を率いて南方に遠征し、南中(なんちゅう)の四郡を平定するとともに、現地の郡県の編制を改めた。その後も蜀軍は北伐を続けた。 263年、魏の朝廷は鄧艾(とうがい)や鍾会(しょうかい)らに別路から蜀を攻めさせ、巴蜀への進攻を計画した。

蜀漢を見る →