王經母
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王經(おうけい)は魏の官吏で、母は出仕を思いとどまらせようとし、息子とともに泰然と刑を受けたことで知られる。
出典
原典に王經母が登場する箇所
正史 · 巻 9『三国志』
…始經爲郡守,經母謂經曰:「汝田家子,今仕至二千石,物太過不祥,可以止矣。」…
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清河王經亦與允俱稱冀州名士。甘露中爲尚書,坐高貴鄉公事誅。始經爲郡守,經母謂經曰:「汝田家子,今仕至二千石,物太過不祥,可以止矣。」經不能從,歷二州刺史,司隷校尉,終以致敗。〈《世語》曰:經字彥偉,初爲江夏太守。大將軍曹爽附絹二十匹令交市於吳,經不發書,棄官歸。母問歸狀,經以實對。母以經典兵馬而擅去,對送吏杖經五十,爽聞,不復罪。經爲司隷校尉,辟河內向雄爲都官從事,王業之出,不申經,竟以及難。經刑於東市,雄哭之,感動一市。刑及經母,雍州故吏皇甫晏以家財收葬焉。《漢晉春秋》曰:經被收,辭母。母顏色不變,笑而應曰:「人誰不死?往所以不止汝者,恐不得其所也。以此并命,何恨之有哉?」晉武帝太始元年詔曰:「故尚書王經,雖身陷法辟,然守志可嘉。門戶堙沒,意常愍之,其賜經孫郎中。」〉允友人同郡崔贊,亦嘗以處世太盛戒允云。〈荀綽《冀州記》曰:贊子洪,字良伯,清恪有匪躬之志,爲晉吏部尚書、大司農。〉
演義 · 第 114 回『三国志演義』
…王經母子含笑受刑。滿城士庶,無不垂淚。後人有詩曰:
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昭又使人收王經全家下獄。王經正在廷尉廳下,忽見縛其母至。經叩頭大哭曰:「不孝子累及慈母矣!」母大笑曰:「人誰不死?正恐不死其所耳。以此棄命,何恨之有?」次日,王經全家皆押赴東市。王經母子含笑受刑。滿城士庶,無不垂淚。後人有詩曰:
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王經母は魏の官僚、王經(Wang Jing)の母で、『三国(さんごく)演義』第114回に登場する。
事績
史書によれば、王經が初めて郡守に任じられた際、彼女は、田家の出身でありながらすでに二千石の官位に至ったのだから、出世しすぎるのは不吉であり、ここで身を引くべきだと諭した。王經は聞き入れず、その後、二州の刺史や司隷(しれい)校尉を歴任し、高貴郷公の事件により処刑された。
史書によれば、王經が捕らえられた際、母に別れを告げると、彼女は顔色ひとつ変えず、笑って、人は誰しも死ぬものだと言った。以前、彼に身を引くよう勧めなかったのは、死に場所を誤らせることを恐れたからであり、今、母子そろって死に赴くのだから、何を悔やむことがあろうか、と語った。
(演義)王經が投獄された際、王經母は廷尉の庁舎の前に縛られて連れてこられた。彼女は笑って、人は誰しも死ぬものだ、肝心なのは死に場所を得ることだと言い、母子は翌日、笑顔で東市へ赴き刑に処された。
関係
- 王經の母
- 王經とともに死刑に処される(史書では刑が王經母にも及んだと記し、演義では母子そろって東市へ赴いたと描く)
台詞
- 演 ch.114 §18→ 王經
「人誰不死?正恐不死其所耳。以此棄命,何恨之有?」

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子