孫呉
梁廣

梁廣(りょうこう)は呉の史官で、少帝の時代に韋昭らと『呉書』を共編した。
出典
原典に梁廣が登場する箇所
正史 · 巻 53『三国志』
…至少帝時,更差韋曜、周昭、薛瑩、梁廣及臣五人,訪求往事,所共撰立,備有本末。…
段落全文を読む
臣聞五帝三王皆立史官,敘錄功美,垂之無窮。漢時司馬遷、班固,咸命世大才,所撰精妙,與六經俱傳。大吳受命,建國南土。大皇帝末年,命太史令丁孚、郎中項峻始撰《吳書》。孚、峻俱非史才,其所撰作,不足紀錄。至少帝時,更差韋曜、周昭、薛瑩、梁廣及臣五人,訪求往事,所共撰立,備有本末。昭、廣先亡,曜負恩蹈罪,瑩出為將,復以過徙,其書遂委滯,迄今末撰奏。臣愚淺才劣,適可為瑩等記注而已,若使撰合,必襲孚、峻之跡,懼墜大皇帝之元功,損當世之盛美。瑩涉學既博,文章尤妙,同寮之中,瑩為冠首。今者見吏,雖多經學,記述之才,如瑩者少,是以慺慺為國惜之。實欲使卒垂成之功,編於前史之末。奏上之後,退填溝壑,無所復恨。
梁廣(りょうこう)は呉の史官で、韋昭(いしょう)・周昭(しゅうしょう)・薛瑩(せつえい)らとともに『呉書』を編纂した。『三国志演義』には登場しない。
事績
少帝の時代、梁廣は韋昭・周昭・薛瑩および上書した者とともに、過去の事柄を調べ、『呉書』を編纂するよう命じられた(史書に記載)。
周昭と梁廣はすでに亡くなっていたため、『呉書』は完成して上奏されるには至らなかった(史書に記載)。
関係
- 韋昭・周昭・薛瑩および上書した者とともに『呉書』を編纂した
ランキング
各ランキングでの順位。

続けて読む
孫呉
所属勢力
孫呉(そんご)は三国(さんごく)時代に江東を領有した政権である。孫策(そん さく)は軍を率いて浙江を渡り、会稽(かいけい)を攻略して現地の勢力を平定した。その後、自ら会稽太守を兼ね、官吏を任命して呉郡・丹楊・豫章郡(よしょうぐん)および分置された廬陵郡を治めさせ、江東における孫氏の支配を拡大した。孫権(そん けん)は江東を領有し、かつて劉備(りゅうび)と協力して曹操(そうそう)に抵抗した。黄龍元年(229)、孫権は南郊で皇帝に即位し、父の孫堅(そん けん)を武烈皇帝、兄の孫策を長沙(ちょうさ)桓王と追尊し、孫登(そん とう)を皇太子に立てた。孫権の死後、孫亮(そん りょう)が跡を継いだ。孫亮の廃位(そんりょうのはいい)後、孫休(そん きゅう)が迎えられて即位し、孫休の死後、孫皓(そん こう)が迎えられて帝位に就いた。孫皓の即位(そんこうのそくい)後、元興と改元し、父の孫和(そん か)を文皇帝と追尊した。