孫呉
孫慎

孫慎(そんしん)は東呉の夏口(かこう)督で、天紀元年夏に江夏(こうか)・汝南で住民を焼き払い略奪した。
出典
原典に孫慎が登場する箇所
正史 · 巻 48『三国志』
天紀元年夏,夏口督孫慎出江夏、汝南,燒略居民。初,騶子張俶多所譖白,累遷爲司直中郎將,封侯,甚見寵愛,是歲姦情發聞,伏誅。…
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天紀元年夏,夏口督孫慎出江夏、汝南,燒略居民。初,騶子張俶多所譖白,累遷爲司直中郎將,封侯,甚見寵愛,是歲姦情發聞,伏誅。〈《江表傳》曰:俶父,會稽山陰縣卒也,知俶不良,上表云:「若用俶爲司直,有罪乞不從坐。」皓許之。俶表正彈曲二十人,專糾司不法,於是愛惡相攻,互相謗告。彈曲承言,收繫囹圄,聽訟失理,獄以賄成。人民窮困,無所措手足。俶奢淫無厭,取小妻三十餘人,擅殺無辜,衆姦並發,父子俱見車裂。〉
孫慎は東呉の夏口(かこう)督であり、『三国(さんごく)演義』には登場しない。
事績
天紀元年の夏、孫慎は江夏(こうか)と汝南(じょなん)に出兵し、住民の家を焼き払い、略奪した(史書の記載)。
関係
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孫呉
所属勢力
孫呉(そんご)は三国(さんごく)時代に江東を領有した政権である。孫策(そん さく)は軍を率いて浙江を渡り、会稽(かいけい)を攻略して現地の勢力を平定した。その後、自ら会稽太守を兼ね、官吏を任命して呉郡・丹楊・豫章郡(よしょうぐん)および分置された廬陵郡を治めさせ、江東における孫氏の支配を拡大した。孫権(そん けん)は江東を領有し、かつて劉備(りゅうび)と協力して曹操(そうそう)に抵抗した。黄龍元年(229)、孫権は南郊で皇帝に即位し、父の孫堅(そん けん)を武烈皇帝、兄の孫策を長沙(ちょうさ)桓王と追尊し、孫登(そん とう)を皇太子に立てた。孫権の死後、孫亮(そん りょう)が跡を継いだ。孫亮の廃位(そんりょうのはいい)後、孫休(そん きゅう)が迎えられて即位し、孫休の死後、孫皓(そん こう)が迎えられて帝位に就いた。孫皓の即位(そんこうのそくい)後、元興と改元し、父の孫和(そん か)を文皇帝と追尊した。