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周景

字 仲鄉 · –168

周景の肖像
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周景(しゅうけい)は漢の太尉で、清廉有能さと州牧・郡守・尚書令の歴任で知られ、周瑜の従祖父だった。

正史 『三国志』巻54 · 『演義』に登場せず

出典

原典に周景が登場する箇所

  • 正史 · 巻 54『三国志』

    …〈謝承《後漢書》曰:景字仲鄉,少以廉能見稱,以明學察孝廉,辟公府。…
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    周瑜字公瑾,廬江舒人也。從祖父景,景子忠,皆為漢太尉。〈謝承《後漢書》曰:景字仲鄉,少以廉能見稱,以明學察孝廉,辟公府。後為豫州刺史,辟汝南陳蕃為別駕,潁川李膺、荀緄、杜密、沛國硃寓為從事,皆天下英俊之士也。稍遷至尚書令,遂登太尉。張璠《漢紀》曰:景父榮,章、和世為尚書令。初景歷位牧守,好善愛士,每歲舉孝廉,延請入,上後堂,與家人宴會,如此者數四。及贈送既備,又選用其子弟,常稱曰:「移臣作子,於政何有?」先是,司徒韓縯為河內太守,在公無私,所舉一辭而已,後亦不及其門戶,曰:「我舉若可矣,不令恩偏稱一家也。」當時論者,或兩譏焉。〉父異,洛陽令。瑜長壯有姿貌。初,孫堅與義兵討董卓,徙家於舒。堅子策與瑜同年,獨相友善,瑜推道南大宅以舍策,升堂拜母,有無通共。瑜從父尚為丹楊太守,瑜往省之。會策將東渡,到歷陽,馳書報瑜,瑜將兵迎策。策大喜曰:「吾得卿。諧也。」遂從攻橫江、當利,皆拔之。乃渡江擊秣陵,破笮融、薛禮。轉下湖孰、江乘,進入曲阿。劉繇奔走,而策之眾已數萬矣。因謂瑜曰:「吾以此眾取吳會平山越已足。卿還鎮丹楊。」瑜還。頃之,袁術遣從弟胤代尚為太守,而瑜與尚俱還壽春。術欲以瑜為將,瑜觀術終無所成,故求為居巢長,欲假塗東歸,術聽之。遂自居巢還吳。是歲,建安三年也。

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ほか 3 件

周景は字を仲郷といい、周瑜(しゅうゆ)の従祖父で、漢朝の太尉を務めた人物である。『三国演義』には登場しない。

事績

『謝承後漢書』の注によると、周景は若い頃、廉潔で有能なことで知られ、経学に通じていたため孝廉に推挙され、のちに公府から召し出されたという。(史書の記載)
『謝承後漢書』の注によると、周景はのちに豫州(よしゅう)刺史となり、陳蕃(ちんはん)を別駕に召し出したほか、李膺(りよう)、荀緄(Junkon)、杜密(Tōmitsu)、朱寓(Shuyu)らを従事に召し出し、その後、次第に昇進して尚書令、太尉に至ったという。(史書の記載)
張璠(Chōhan)『漢紀』の注によると、周景は州牧や郡守を歴任し、賢士を好んだ。毎年、孝廉を推挙し、後堂に招いて家族とともに宴を催し、財物を贈ったうえで、その子弟も登用したという。(史書の記載)
張璠『漢紀』の注にはさらに、周景が「臣下の子弟を推挙しても政務の妨げにはならない」と述べたことが記されている。また、当時の論者がこれと韓縯(Kan’en)の推挙に私心がなかったことを、あわせて批判したとも記されている。(史書の記載)

関係

  • 周瑜の従祖父であり、その子の周忠も漢の太尉を務めた。
  • 陳蕃を別駕に、李膺、荀緄、杜密、朱寓を従事に召し出した。

人間関係

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周景 の人物関係図周忠周瑜周景
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