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吳遽

吳遽の肖像
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吳遽(ごきょ)は呉の鄱陽郡民で、挙兵して周祗を殺し、諸県を攻略した後、兵を率いて陸遜に降ったと記される。

正史 『三国志』巻58 · 『演義』に登場せず

出典

原典に吳遽が登場する箇所

  • 正史 · 巻 58『三国志』

    …而祗固陳取之,郡民吳遽等果作賊殺祗,攻沒諸縣。豫章、廬陵宿惡民並應遽為寇。…
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    六年,中郎將周祗乞於鄱陽召募,事下問遜。遜以為此郡民易動難安,不可與召。恐致賊寇。而祗固陳取之,郡民吳遽等果作賊殺祗,攻沒諸縣。豫章、廬陵宿惡民並應遽為寇。遜自聞,輒討即破,遽等相率降,遜料得精兵八千餘人,三郡平。時中書典校呂壹,竊弄權柄,擅作威福。遜與太常潘浚同心憂之,言至流涕。後權誅壹,深以自責,語在《權傳》。

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ほか 3 件

吳遽(ごきょ)は三国(さんごく)時代の鄱陽郡(はようぐん)の民で、呉に属した。『演義』には登場しない。

事績

六年、周祗(しゅうし)が鄱陽で人々を募った後、吳遽ら郡の民が蜂起し、周祗を殺害して諸県を攻め落とした(史書の記載)。
豫章郡(よしょうぐん)と廬陵(ろりょう)の悪名高い民も吳遽に呼応した。陸遜(りくそん)が兵を出して討伐すると、吳遽らは連れ立って降伏した。

関係

  • 周祗:蜂起の際に周祗を殺害した。
  • 陸遜の討伐を受け、後に一族を率いて降伏した。

人間関係

2 件の関係

吳遽 の人物関係図周祗陸遜吳遽
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  • その他
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