言語

馮則

馮則(ふうそく)は孫呉(そんご)の騎士で、建安十三年に黄祖(こうそ)を追って斬ったことで知られる。

正史 『三国志』巻47 · 『演義』に登場せず

出典

原典に馮則が登場する箇所

  • 正史 · 巻 47『三国志』

    …祖挺身亡走,騎士馮則追梟其首,虜其男女數萬口。是歳,使賀齊討黟、歙,〈黟音伊。…
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    十三年春,權復征黃祖,祖先遣舟兵拒軍,都尉呂蒙破其前鋒。而淩統、董襲等盡銳攻之,遂屠其城。祖挺身亡走,騎士馮則追梟其首,虜其男女數萬口。是歳,使賀齊討黟、歙,〈黟音伊。歙音攝。〉分歙爲始新、新定、〈吳錄曰:晉改新定爲遂安。〉犂陽、休陽縣,〈吳錄曰:晉改休陽爲海寧。〉以六縣爲新都郡。荊州牧劉表死,魯肅乞奉命弔表二子,且以觀變。肅未到,而曹公已臨其境,表子琮舉眾以降。劉備欲南濟江,肅與相見,因傳權旨,爲陳成敗。備進住夏口,使諸葛亮詣權,權遣周瑜、程普等行。是時曹公新得表眾,形勢甚盛。諸議者皆望風畏懼,多勸權迎之。〈《江表傳》載曹公與權書曰:「近者奉辭伐罪,旄麾南指,劉琮束手。今治水軍八十萬眾,方與將軍會獵於吳。」權得書以示群臣,莫不鄉震失色。〉惟瑜、肅執拒之儀,意與權同。瑜、普爲左右督,各領萬人,與備俱進,遇於赤壁,大破曹公軍。公燒其餘船引退,士卒饑疫,死者大半。備、瑜等復追至南郡。曹公遂北還,留曹仁、徐晃於江陵,使樂進守襄陽。時甘寧在夷陵,爲仁黨所圍,用呂蒙計,留淩統以拒仁,以其半救寧,軍以勝反。權自率眾圍合肥,使張昭攻九江之當塗。昭兵不利,權攻城逾月不能下。曹公自荊州還,遣張喜將騎赴合肥。未至,權退。

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ほか 3 件

馮則は孫呉(そんご)側の騎兵で、登場する章回は記されていない。演義には登場しない。

事績

建安十三年、孫権(そん けん)は黄祖(こうそ)を討伐し、馮則は逃亡する黄祖に追いついて、その首を斬り落とした(史書の記載)。

関係

  • 他の関係については記載がない。

人間関係

2 件の関係

馮則 の人物関係図孫権黄祖馮馮則
  • 君臣
  • 敵対
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戦績

戦場の記録

原文に記された一騎討ち・討ち取り・処刑を、史書と演義に分けて数えます。

孫権

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孫権

主君

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正史 · 巻 47

  • 黄祖§10

    敵対

    黄祖を追って斬った

  • 孫権§10

    主君

    孫権(そん けん)が黄祖を討伐した際の軍中の騎士(同段に「騎士馮則追梟其首」とある)