言語
劉

劉備集団(りゅうびしゅうだん) · 将軍

劉闢

登場回
5
台詞の記録
3
人間関係
2
内面の独白
1

史載(Historical Record)

劉闢は、後漢末の汝南における黄巾軍(こうきんぐん)の首領の一人である。曹操(そうそう)と袁紹(えんしょう)が官渡(かんと)で対峙して決着がつかぬ折、劉闢は仲間とともに袁紹(えんしょう)に呼応し、汝南で兵を挙げて曹操(そうそう)に反旗を翻した。袁紹(えんしょう)はそこで劉備(りゅうび)に兵を率いさせて劉闢らと合流させ、共に曹操(そうそう)の許都(きょと)へ攻め込ませた。この間、関羽(かんう)が曹操(そうそう)のもとから帰り、劉備(りゅうび)と再会した。曹操(そうそう)はこれを聞き、曹仁(そうじん)に兵を率いさせて劉備(りゅうび)を攻めさせ、劉備(りゅうび)は敗れて袁紹(えんしょう)の軍中へ戻った。劉備(りゅうび)はその後、袁紹(えんしょう)に荊州(けいしゅう)牧の劉表(りゅう ひょう)と連絡を取るよう勧め、袁紹(えんしょう)はその進言を容れ、再び劉備(りゅうび)に旧部を率いさせて汝南へ赴かせ、別の黄巾軍(こうきんぐん)である龔都らの部隊と合流させ、数千人を集めた。曹操(そうそう)はさらに蔡陽(さいよう)を遣わして征討させたが、結果として蔡陽(さいよう)は劉備(りゅうび)に討たれた。劉闢は史料において主に黄巾軍(こうきんぐん)首領の身分で現れ、その活動地域は汝南に集中し、かつて袁紹(えんしょう)・劉備(りゅうび)と連携して共に曹操(そうそう)に対抗したが、その最終的な結末は史料に詳しく記されていない。

演中(In the Novel)

『三国演義』において、劉闢の姿はより豊かな文学的造形を与えられ、その登場は劉備(りゅうび)・関羽(かんう)の経歴と密接に結びついている。彼は汝南黄巾軍(こうきんぐん)の頭領として、龔都とともに汝南地域で活動していた。関羽(かんう)が曹操(そうそう)の麾下にあったとき、曹操(そうそう)はかつて関羽(かんう)を遣わして汝南の黄巾の賊を平定させ、劉闢と龔都はこの戦いで関羽(かんう)と接触があった。小説では、孫乾がひそかに劉闢と龔都に連絡を取り、わざと関羽(かんう)に敗れるよう仕向け、関羽(かんう)が二人の嫂を伴って袁紹(えんしょう)のもとへ赴き劉備(りゅうび)と合流できるようにした。

後に、劉備(りゅうび)が袁紹(えんしょう)のもとにいたとき、劉闢と龔都はかつて劉備(りゅうび)を迎え入れたことがあった。関羽(かんう)が兄を尋ねて汝南に至ったとき、劉闢と龔都は関羽(かんう)に、劉備(りゅうび)は兵力不足のため河北の袁紹(えんしょう)のもとへ向かったと告げた。劉闢は小説において劉備(りゅうび)に対し大きな忠誠と支持を示している。曹操(そうそう)が袁紹(えんしょう)を大破した後、劉備(りゅうび)は汝南で再び劉闢・龔都ら数万の兵馬を集結させた。曹操(そうそう)が河北を北征した際、劉備(りゅうび)は劉闢に汝南の留守を任せ、自らは虚に乗じて許昌(きょしょう)を攻めた。劉備(りゅうび)が敗れた後、劉闢は敗軍を率いて劉備(りゅうび)の家小を護送して脱出させ、孫乾・簡雍(かんよう)・糜芳(びほう)らと合流した。この場面は、危急の際に劉闢が劉備(りゅうび)を守る姿と忠心を示している。しかし、劉闢の結末もまた演義においてはかなり悲壮なものであり、彼は高覽との戦いで劉備(りゅうび)を守るために命を落とした。

関係

* 黄巾軍(こうきんぐん)(lord_of):劉闢は汝南黄巾軍(こうきんぐん)の首領の一人であり、史料・演義のいずれにも現れている。
* 袁紹集団(えんしょうしゅうだん)(defected_to):官渡の戦い(かんとのたたかい)の期間、劉闢は袁紹(えんしょう)に呼応して兵を挙げて反曹し、袁紹(えんしょう)が遣わした劉備(りゅうび)とともに行動した。
* 劉備集団(りゅうびしゅうだん)(serves):劉闢は演義において劉備(りゅうび)に対し極めて高い忠誠を示し、たびたび劉備(りゅうび)とその家眷を迎え入れ守り、彼のために死戦した。史実においても、劉備(りゅうび)は袁紹(えんしょう)に遣わされて劉闢と合流したことがある。
* 高覽(dies_in):劉闢は演義において、最終的に劉備(りゅうび)を守るため、袁紹(えんしょう)の降将高覽と交戦し、高覽に斬殺された(演義独自)。

象徴的な場面

* 汝南で兵を挙げ袁紹に呼応する:官渡の戦い(かんとのたたかい)の鍵となる時期、劉闢は龔都ら黄巾軍(こうきんぐん)とともに汝南で兵を挙げて曹操(そうそう)に反旗を翻し、袁紹(えんしょう)に呼応し、劉備(りゅうび)と合流して共に曹操(そうそう)の後方を脅かした。この出来事は史実における劉闢の最も重要な政治・軍事的行動であり、官渡の戦局の行方に直接影響した。
* 関羽が兄を尋ねて汝南で劉闢に出会う:関羽(かんう)が千里単騎で兄を尋ねて汝南に至ったとき、劉闢と龔都は関羽(かんう)に劉備(りゅうび)の行き先を告げ、関羽(かんう)と劉備(りゅうび)の再会を促した(演義独自)。
* 劉備を救うため高覽と力戦して死す:劉備(りゅうび)が曹操(そうそう)に追撃され絶体絶命に陥ったとき、劉闢は身を挺して追撃の高覽と交え、ついに戦場に斃れ、その命をもって劉備(りゅうび)を守った(演義独自)。この場面は劉闢が演義において最も悲劇的色彩と英雄的気概を帯びた瞬間であり、劉備(りゅうび)への忠誠を深く示している。

人間関係

2 件の関係

名言

全 3 件の台詞 · 厳選 2 件

「皇叔到此住了數日,為見軍少,復往河北袁本初處商議去了。」

演 第28回→ 関羽(かんう)

この言葉は巧みに劉備(りゅうび)を窮地から救い偽りを取り繕っており、劉闢の機知と忠誠を示している。

「容某死戰,奪路救君。」

演 第31回→ 劉備(りゅうび)

この台詞は主君を救うためなら犠牲も厭わない劉闢の忠勇を示す、その人物像の見せ場である。

登場回5 回 ▸
  • 史ch.32
  • 演ch.26ch.27ch.28ch.31
関係の年表1 条 ▸

演 ch.31

  • 高覽§22

    dies_in

    穰山为高览一刀砍于马下

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は劉闢、字は詳らかでない。官渡(かんと)の頃、曹操(そうそう)と袁紹(えんしょう)が対峙していた。私は龔都らとともに汝南(じょなん)で兵を挙げ、袁紹に呼応した。乱世には郡県の旗印が幾度も入れ替わり、民や兵卒が求めたのは、ただ進む道と帰る場
生涯の大事1 ▸