言語

蜀漢

李鴻

李鴻の肖像
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李鴻(りこう)は蜀漢(しょくかん)の降人で、諸葛亮(しょかつりょう)に孟達(もうたつ)と王沖の件を伝えた。

正史 『三国志』巻41 · 『演義』に登場せず

出典

原典に李鴻が登場する箇所

  • 正史 · 巻 41『三国志』

    建興三年,隨諸葛亮南行,歸至漢陽縣,降人李鴻來詣亮,亮見鴻,時蔣琬與詩在坐。…
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    建興三年,隨諸葛亮南行,歸至漢陽縣,降人李鴻來詣亮,亮見鴻,時蔣琬與詩在坐。鴻曰:「聞過孟達許,適見王沖從南來,言往者達之去就,明公切齒,欲誅達妻子,賴先主不聽言。達曰:『諸葛亮見顧有本末,終不爾也。』盡不信沖言,委仰明公,無復已已。」亮謂琬、詩曰:「還都當有書與子度相聞。」詩進曰:「孟達小子,昔事振威不忠,後又背叛先主,反覆之人,何足與書邪!」亮默然不答。亮欲誘達以為外援,竟與達書曰:「往年南征,歲(未及)[末及]還,適與李鴻會於漢陽,承知消息,慨然永歎,以存足下平素之志,豈徒空托名榮,貴為乘離乎!嗚呼孟子,斯實劉封侵陵足下,以傷先主待士之義。又鴻道王沖造作虛語,云足下量度吾心,不受沖說。尋表明之言,追平生之好,依依東望,故遣有書。」達得亮書,數相交通,辭欲叛魏。魏遣司馬宣王征之,即斬滅達。亮亦以達無款誠之心,故不救助也。蔣琬秉政,以詩為諫議大夫,卒於家。

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李鴻は蜀漢(しょくかん)側の降将で、かつて諸葛亮(しょかつりょう)のもとを訪れ、孟達(もうたつ)と王沖の件について述べた。『三国志(さんごくし)』巻四十一に記載がある。演義にはこの人物は登場しない。

事績

建興三年、李鴻は諸葛亮に従って南へ向かい、漢陽県に戻った際に諸葛亮への謁見に訪れた。かつて孟達のもとを訪れ、孟達がどうするかについての王沖の見解を諸葛亮に伝え、孟達は王沖の言葉を信じず、なお諸葛亮を頼りにしていると述べた。(史書の記載)

関係

  • 降将で、かつて孟達のもとを訪れた。諸葛亮への謁見に訪れ、孟達の件について述べた。

台詞

  • 史 ch.41 §44→ 諸葛亮

    「聞過孟達許,適見王沖從南來,言往者達之去就,明公切齒,欲誅達妻子,賴先主不聽言。達曰:『諸葛亮見顧有本末,終不爾也。』盡不信沖言,委仰明公,無復已已。」

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所属勢力

蜀漢(しょくかん)は三国(さんごく)時代に劉備(りゅうび)が建てた政権で、国号は漢といい、通常は蜀漢と称される。建安十六年(211)、劉備は劉璋(りゅう しょう)の招きに応じて益州(えきしゅう)に入り、その後、方針を転じて益州を攻め取り、諸葛亮(しょかつりょう)らとともに成都(せいと)を包囲した。成都を平定した後、劉備は諸葛亮を軍師将軍に任じ、左将軍府の事務を処理させた。章武元年(221)、劉備は成都で皇帝に即位し、劉禅(りゅう ぜん)を皇太子に立てた。 223年、劉備が死去すると、劉禅は成都で跡を継いだ。当時、十七歳だった。諸葛亮は後事を託されて政務を補佐し、丞相として内外の政務を総括した。 蜀漢は益州を統治の基盤とし、曹魏(そうぎ)との戦いを続けた。諸葛亮は軍を率いて南方に遠征し、南中(なんちゅう)の四郡を平定するとともに、現地の郡県の編制を改めた。その後も蜀軍は北伐を続けた。 263年、魏の朝廷は鄧艾(とうがい)や鍾会(しょうかい)らに別路から蜀を攻めさせ、巴蜀への進攻を計画した。

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