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曹魏 · 趙王

曹幹

別名 曹良 · 約215–261

曹幹の肖像
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曹幹(そうかん)は曹魏(そうぎ)の趙王で曹操(そうそう)の子。青龍二年、賓客との私通を明帝の璽書で戒められたため記載された。

正史 『三国志』巻20 · 『演義』に登場せず

出典

原典に曹幹が登場する箇所

  • 正史 · 巻 20『三国志』

    武皇帝二十五男:卞皇后生文皇帝、任城威王彰、陳思王植、蕭懷王熊;…
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    武皇帝二十五男:卞皇后生文皇帝、任城威王彰、陳思王植、蕭懷王熊;劉夫人生豐愍王昂、相殤王鑠;環夫人生鄧哀王衝、彭城王據、燕王宇;杜夫人生沛穆王林、中山恭王衮;秦夫人生濟陽懷王玹、陳留恭王峻;尹夫人生范陽閔王矩;王昭儀生趙王幹;孫姬生臨邑殤公子上、楚王彪、剛殤公子勤;李姬生谷城殤公子乘、郿戴公子整、靈殤公子京;周姬生樊安公均;劉姬生廣宗殤公子棘;宋姬生東平靈王徽;趙姬生樂陵王茂。

  • 正史 · 巻 20『三国志』

    趙王幹,建安二十年封髙平亭侯。二十二年,徙封賴亭侯。其年改封弘農侯。…
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    趙王幹,建安二十年封髙平亭侯。二十二年,徙封賴亭侯。其年改封弘農侯。黃初二年,進爵,徙封燕公。〈《魏略》曰:幹一名良。良本陳妾子,良生而陳氏死,太祖令王夫人養之。良年五歳而太祖疾困,遺令語太子曰:「此兒三歳亡母,五歳失父,以累汝也。」太子由是親待,隆於諸弟。良年小,常呼文帝爲阿翁,帝謂良曰:「我,汝兄耳。」文帝又愍其如是,毎爲流涕。臣松之案:此傳以母貴賤爲次,不計兄弟之年,故楚王彪年雖大,傳在幹後。尋《朱建平傳》,知彪大幹二十歳。〉三年,爲河間王。五年,改封樂城縣。七年,徙封鉅鹿。太和六年,改封趙王。幹母有寵於太祖。及文帝爲嗣,幹母有力。文帝臨崩,有遺詔,是以明帝常加恩意。靑龍二年,私通賓客,爲有司所奏,賜幹璽書誡誨之,曰:

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ほか 3 件

曹幹は曹魏(そうぎ)の趙王で、曹操(そうそう)の子である。登場する章回は記載されておらず、演義にもこの人物は描かれていない。

事績

曹幹は建安二十年に高平亭侯に封じられ、二十二年に頼亭侯へ移封され、同年に弘農侯に改封された。黄初二年に爵位が燕公に進み、三年に河間王となり、五年に楽城県へ改封され、七年に鉅鹿へ移封された。太和六年には趙王に改封された。(史載)
青龍二年、曹幹は賓客と密通したため、担当官庁から上奏され、明帝より戒めの璽書を賜った。(史載)

関係

  • 曹操(そうそう)の子で、王昭儀の生んだ子である。母は曹操(そうそう)に寵愛され、曹丕(そうひ)の後継者決定にも力を尽くした。
  • 曹幹は幼くして母を失い、五歳で父を失った。曹丕(そうひ)は彼を親しく遇し、臨終に際して遺詔を残したため、明帝は常に恩情を加えた。

人間関係

2 件の関係

曹幹 の人物関係図曹丕王昭儀曹幹
  • 親族
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曹丕

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正史 · 巻 20

  • 親族

    王昭儀が産んだ(一説ではもとは陳妾の子;裴注;本人の伝では王昭儀が産んだとだけ記す)

  • 曹丕§49

    親族

    干の母は太祖に寵愛された;文帝が後継者となるにあたり、干の母は力があった;文帝の臨終の遺詔により、明帝は常に恩情を加えた;干は常に帝を阿翁と呼んだ(裴注;本伝では後継者となるにあたり力があったことと、遺詔による恩情を記す)