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孫呉

施明

施明の肖像
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施明(しめい)は呉の無難士だったが、陳表の感化で改心し、後に将軍に昇った。

正史 『三国志』巻55 · 『演義』に登場せず

出典

原典に施明が登場する箇所

  • 正史 · 巻 55『三国志』

    …時有盜官物者,疑無難士施明。明素壯悍,收考極毒,惟死無辭,廷尉以聞。…
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    弟表,字文奧,武庶子也,少知名,與諸葛恪、顧譚、張休等並侍東宮,皆共親友。尚書曁豔亦與表善,後豔遇罪,時人咸自營護,信厚言薄,表獨不然,士以此重之。徙太子中庶子,拜翼正都尉。兄脩亡後,表母不肯事脩母,表謂其母曰:「兄不幸早亡,表統家事,當奉嫡母。母若能爲表屈情,承順嫡母者,是至願也;若母不能,直當出別居耳。」表於大義公正如此。由是二母感寤雍穆。表以父死敵場,求用爲將,領兵五百人。表欲得戰士之力,傾意接待,士皆愛附,樂爲用命。時有盜官物者,疑無難士施明。明素壯悍,收考極毒,惟死無辭,廷尉以聞。權以表能得健兒之心,詔以明付表,使自以意求其情實。表便破械沐浴,易其衣服,厚設酒食,歡以誘之。明乃首服,具列支黨。表以狀聞。權奇之,欲全其名,特爲赦明,誅戮其黨。遷表爲無難右部督,封都亭侯,以繼舊爵。表皆陳讓,乞以傳脩子延,權不許。嘉禾三年,諸葛恪領丹楊太守,討平山越,以表領新安都尉,與恪參勢。初,表所受賜復人得二百家,在會稽新安縣。表簡視其人,皆堪好兵,乃上疏陳讓,乞以還官,充足精銳。詔曰:「先將軍有功於國,國家以此報之,卿何得辭焉?」表乃稱曰:「今除國賊,報父之仇,以人爲本。空枉此勁銳以爲僮僕,非表志也。」皆輒料取以充部伍。所在以聞,權甚嘉之。下郡縣,料正戶羸民以補其處。表在官三年,廣開降納,得兵萬餘人。事捷當出,會鄱陽民吳遽等爲亂,攻沒城郭,屬縣搖動,表便越界赴討,遽以破敗,遂降。陸遜拜表偏將軍,進封都鄉侯,北屯章阬。年三十四卒。家財盡於養士,死之日,妻子露立,太子登爲起屋宅。子敖年十七,拜別部司馬,授兵四百人。敖卒,脩子延復爲司馬代敖。延弟永,將軍,封侯。始施明感表,自變行爲善,遂成健將,致位將軍。

施明は東呉の無難士で、『三国志(さんごくし)』巻五十五に記載がある。演義には登場しない。

事績

施明は官物を盗んだ疑いをかけられて捕らえられ、拷問を受けたが、最後まで罪を認めなかった。孫権(そん けん)は彼を陳表(ちんひょう)に引き渡し、事実を明らかにさせた。(史書の記載)
陳表は彼の刑具を外し、沐浴させて着替えをさせ、酒食を用意してもてなした。すると施明は罪を認め、共犯者を明かした。孫権は施明を赦免し、共犯者を処刑した。(史書の記載)
施明は陳表に感化され、過ちを改めて善行を積み、後に将軍にまで昇進した。(史書の記載)

関係

  • 東呉の無難士で、官物を盗んだ疑いをかけられたことがある。
  • 陳表の取り調べと感化を受け、後に孫権から赦免された。

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所属勢力

孫呉(そんご)は三国(さんごく)時代に江東を領有した政権である。孫策(そん さく)は軍を率いて浙江を渡り、会稽(かいけい)を攻略して現地の勢力を平定した。その後、自ら会稽太守を兼ね、官吏を任命して呉郡・丹楊・豫章郡(よしょうぐん)および分置された廬陵郡を治めさせ、江東における孫氏の支配を拡大した。孫権(そん けん)は江東を領有し、かつて劉備(りゅうび)と協力して曹操(そうそう)に抵抗した。黄龍元年(229)、孫権は南郊で皇帝に即位し、父の孫堅(そん けん)を武烈皇帝、兄の孫策を長沙(ちょうさ)桓王と追尊し、孫登(そん とう)を皇太子に立てた。孫権の死後、孫亮(そん りょう)が跡を継いだ。孫亮の廃位(そんりょうのはいい)後、孫休(そん きゅう)が迎えられて即位し、孫休の死後、孫皓(そん こう)が迎えられて帝位に就いた。孫皓の即位(そんこうのそくい)後、元興と改元し、父の孫和(そん か)を文皇帝と追尊した。

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