言語

劉璋集団 · 将軍

扶禁

扶禁の肖像
他の人物と同じ場面に →

扶禁(ふきん)は劉璋配下の将で、向存らと葭萌城を約一年包囲したことで知られる。

正史 『三国志』巻41 · 『演義』に登場せず

出典

原典に扶禁が登場する箇所

  • 正史 · 巻 41『三国志』

    …後璋將扶禁、向存等帥萬餘人由閬水上,攻圍攻峻,且一年,不能下。…
    段落全文を読む

    霍峻字仲邈,南郡枝江人也。兄篤於鄉里合部曲數百人,篤卒,荊州牧劉表令峻攝其眾。表卒,峻率眾歸先主,先主以峻為中郎將。先主自葭萌南還襲劉璋,留峻守葭萌城。張魯遣將楊帛誘峻,求共守城,峻曰:「小人頭可得,城不可得。」帛乃退去。後璋將扶禁、向存等帥萬餘人由閬水上,攻圍攻峻,且一年,不能下。峻城中兵才數百人,伺其怠隙,選精銳出擊,大破之,即斬存首。先主定蜀,嘉峻之功,乃分廣漢為梓潼郡,以峻為梓潼太守、裨將軍。在官三年,年四十卒,還葬成都。先主甚悼惜,乃詔諸葛亮曰:「峻既佳士,加有功於國,欲行爵。」遂親率群僚臨會弔祭,因留宿墓上,當時榮之。

ランキング

各ランキングでの順位。

ほか 3 件

扶禁は劉璋(りゅう しょう)配下の将領で、向存らとともに葭萌を攻囲した。『演義』にはこの人物は登場しない。

事績

扶禁は向存らとともに一万余りの兵を率いて閬水を遡り、霍峻(かくしゅん)が守る葭萌城を一年近く攻囲したが、攻略できなかった。(史書の記載)

関係

  • 劉璋集団(りゅうしょうしゅうだん)に属する
  • 向存らとともに軍を率いて葭萌城を攻囲した

人間関係

2 件の関係

扶禁 の人物関係図劉璋霍峻扶禁
  • 君臣
  • 敵対
扇形は関係の種類ごとの区分。内側の環は最も関わりの深い 2 人。ノードにホバーまたはフォーカスすると詳細を表示

全 2 人を表示

劉璋

続けて読む

劉璋

主君

劉璋へ →
関係の年表2 件 ▸

正史 · 巻 41

  • 主君

    劉璋の将

  • 敵対

    葭萌を包囲攻撃したが、霍峻に破られた