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曹茂

曹茂の肖像
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曹茂(そうぼう)は曹操(そうそう)の子で、楽陵王に封じられ、東平霊王のために哀悼せず戸数を削られた。

正史 『三国志』巻20 · 『演義』に登場せず

出典

原典に曹茂が登場する箇所

  • 正史 · 巻 20『三国志』

    武皇帝二十五男:卞皇后生文皇帝、任城威王彰、陳思王植、蕭懷王熊;…
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    武皇帝二十五男:卞皇后生文皇帝、任城威王彰、陳思王植、蕭懷王熊;劉夫人生豐愍王昂、相殤王鑠;環夫人生鄧哀王衝、彭城王據、燕王宇;杜夫人生沛穆王林、中山恭王衮;秦夫人生濟陽懷王玹、陳留恭王峻;尹夫人生范陽閔王矩;王昭儀生趙王幹;孫姬生臨邑殤公子上、楚王彪、剛殤公子勤;李姬生谷城殤公子乘、郿戴公子整、靈殤公子京;周姬生樊安公均;劉姬生廣宗殤公子棘;宋姬生東平靈王徽;趙姬生樂陵王茂。

  • 正史 · 巻 20『三国志』

    樂陵王茂,建安二十二年封萬歳亭侯。二十三年,改封平輿侯。黃初三年,進爵,徙封乘氏公。…
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    樂陵王茂,建安二十二年封萬歳亭侯。二十三年,改封平輿侯。黃初三年,進爵,徙封乘氏公。七年,徙封中丘。茂性泬佷,少無寵於太祖。及文帝世,又獨不王。太和元年,徙封聊城公,其年爲王。詔曰:

  • 正史 · 巻 20『三国志』

    六年,改封曲陽王。正始三年,東平靈王薨,茂稱嗌痛,不肯發哀,居處出入自若。…
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    六年,改封曲陽王。正始三年,東平靈王薨,茂稱嗌痛,不肯發哀,居處出入自若。有司奏除國土,詔削縣一,戸五百。五年,徙封樂陵,詔以茂租奉少,諸子多,復所削戸,又增戸七百。嘉平、正元、景元中,累增邑,幷前五千戸。

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ほか 3 件

曹茂は曹操(そうそう)の子で、曹魏(そうぎ)の宗室であり、楽陵王に封じられた。『演義』には登場しない。

事績

  • 建安二十二年、曹茂は万歳亭侯に封じられ、翌年には平輿侯に改封された。黄初三年に爵位が進み、乗氏公に移封され、黄初七年には中丘に移封された。(史書に記載)
  • 曹茂は気性が頑なで、若い頃は曹操に寵愛されなかった。文帝の在位中、諸侯のうち王に封じられていなかったのは彼だけだった。太和元年に聊城公に移封され、同年に王に封じられた。(史書に記載)
  • 太和六年、曲陽王に改封された。正始三年、東平霊王が亡くなると、曹茂は喉の痛みを称して哀悼の意を示そうとせず、日常の起居も普段どおりだった。有司が封国の削減を奏請し、詔により県一つと戸数五百が削られた。正始五年に楽陵へ移封され、削られた戸数が戻されたうえ、さらに七百戸が加増された。嘉平・正元・景元年間にもたびたび封邑が加増され、合計五千戸となった。(史書に記載)

関係

人間関係

3 件の関係

曹茂 の人物関係図曹操曹竦趙姬曹茂
  • 親族
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曹操

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正史 · 巻 20

  • 親族

    趙姬が産んだ

  • 曹操§93

    親族

    性質は嫉妬深く、幼い頃から太祖の寵愛をあまり受けなかった