曹魏 · 人質を軟禁
徐母

三国志(さんごくし)に徐母の記載はなく、演義では曹操(そうそう)を罵り、子の召喚を拒み、徐庶(じょしょ)が欺かれて戻ると自害したと描く。
出典
原典に徐母が登場する箇所
演義 · 第 36 回『三国志演義』
遂命左右捧過文房四寶,令徐母作書。徐母曰:「劉備何如人也?」…
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遂命左右捧過文房四寶,令徐母作書。徐母曰:「劉備何如人也?」操曰:「沛郡小輩,妄稱皇叔,全無信義,所謂外君子而內小人者也。」徐母厲聲曰:「汝何虛誑之甚也!吾久聞玄德乃中山靖王之後,孝景皇帝閣下玄孫,屈身下士,恭己待人,仁聲素著。世之黃童、白叟、牧子、樵夫皆知其名。真當世之英雄也。吾兒輔之,得其主矣。汝雖託名漢相,實為漢賊,乃反以玄德為逆臣,欲使吾兒背明投暗,豈不自恥乎!」
演義 · 第 36 回『三国志演義』
操然其言,遂不殺徐母,送於別室養之。程昱日往問候,詐言曾與徐庶結為兄弟,待徐母如親母;…
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操然其言,遂不殺徐母,送於別室養之。程昱日往問候,詐言曾與徐庶結為兄弟,待徐母如親母;時常餽送物件,必具手啟。徐母因亦作手啟答之。程昱賺得徐母筆跡,乃倣其字體,詐修家書一封,差一心腹人,持書逕奔新野縣,尋問單福行幕。軍士引見徐庶。庶知母有家書至,急喚入問之。來人曰:「某乃館下走卒,奉老夫人言語,有書附達。」庶拆封視之。書曰:
演義 · 第 37 回『三国志演義』
…徐母勃然大怒,拍案罵曰:「辱子飄蕩江湖數年,吾以為汝學業有進,何其反不如初也!…
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庶拜謝而出。急往見其母,泣拜於堂下。母大驚曰:「汝何故至此?」庶曰:「近於新野事劉豫州,因得母書,故星夜至此。」徐母勃然大怒,拍案罵曰:「辱子飄蕩江湖數年,吾以為汝學業有進,何其反不如初也!汝既讀書,須知忠孝不能兩全。豈不識曹操欺君罔上之賊?劉玄德仁義布於四海,況又漢室之冑,汝既事之,得其主矣。今憑一紙偽書,更不詳察,遂棄明投暗,自取惡名,真愚夫也!吾有何面目與汝相見!汝玷辱祖宗,空生於天地間耳!」罵得徐庶拜伏於地,不敢仰視。母自轉入屏風後去了。
史書における記録
『三国志(さんごくし)』には徐母の記載がない。徐母は『三国演義』の文学的な叙述にのみ登場し、彼女の言動や境遇、最期を史書に記された事実とみなすことはできない。
演義における描写
『三国演義』第三十六回では、徐母は気丈で物事を見極め、忠義を貫く母として描かれる。曹操(そうそう)は徐庶(じょしょ)を劉備(りゅうび)のもとから呼び寄せるため、程昱(ていいく)の策に従って徐母を許都(きょと)に迎え、手厚くもてなしたうえで、息子を呼び戻す手紙を書くよう求めた。徐母は屈服するどころか、劉備は賢者を礼遇し、その仁義の評判は広く知られていると強い口調で指摘し、徐庶、劉備に仕える(じょしょ、りゅうびにつかえる)のは「主を得た」ということだと述べ、面と向かって曹操を「お前は漢の丞相を名乗っているが、実際は漢の賊だ」と罵った。こうして小説は、政治上の名分を明確に見極め、権勢に臆せず立ち向かう女性として彼女を描いている。
曹操は徐母の言葉を聞いても殺さず、別室に住まわせた。程昱は徐庶と義兄弟になったとうそをつき、見舞いや贈り物、手紙のやり取りを通じて徐母の筆跡を手に入れ、それをまねて偽の家書を書き、徐庶を欺いた。手紙を読んだ徐庶は急いで許都へ戻り、母に会うと堂の下で泣きながら拝礼した。徐母は、手紙を信じて来たと知ると、真偽を見極められず、劉備を軽んじたのだと断じ、「忠と孝をともに全うすることはできない」と叱り、さらに「明を捨てて暗に投じた」「祖先を辱めた」と責めた。そしてすぐに堂を離れ、屏風の向こうへ入っていった。
その後、家人が徐母は梁に首をつって亡くなったと告げ、徐庶が駆けつけたときには、すでに息絶えていた。自害によって、息子が欺かれて劉備のもとを離れた選択に応じたことで、小説における忠義をめぐる葛藤は、政治的な勧誘から母子の倫理をめぐる悲劇へと転じる。許都での拘束、曹操への罵倒、徐庶への厳しい叱責、自害といった筋立てはいずれも演義による創作であり、『三国志(さんごくし)』に徐母の記載がないことと混同してはならない。
主要な関係
- 徐庶:小説における母子関係は、徐母の行動と悲劇の核心である。息子が外で一人きりでいることを案じていたため、彼女は曹操が徐庶をおびき寄せる策略の突破口となった。程昱は彼女の筆跡をだまし取って家書を偽造し、そのため徐庶は急いで戻った。その後、徐母は偽の手紙を見抜けず劉備のもとを離れたことを責め、最後には自害する。母子の説得、欺き、別れの経緯はすべて演義独自のものである。
- 曹操:徐母を利用して徐庶を呼び戻そうとし、手厚くもてなして説得し、手紙を書くよう求めた。しかし徐母は彼を「漢の賊」と罵った。曹操は一時彼女を殺そうとしたが、のちに程昱の言葉に従って別室に住まわせた。この対峙と処置は演義独自のものである。
- 程昱:徐母の孝心を利用して徐庶を許都へ呼び戻す策を提案した。また徐母に親しく接するふりをして筆跡を手に入れ、書簡を偽造した。徐母は自ら進んで息子を呼ぶ手紙を書いたのではなく、偽書の策は小説で母子の悲劇を進める鍵となる。この関係と策略は演義独自のものである。
- 劉備:徐母は劉備の仁義と賢者を礼遇する姿勢を称え、息子が劉備を助けるのは「主を得た」ことだと認めた。徐庶を責める際にも、劉備のもとを離れたことが焦点となっている。この政治的評価と母子の対立は演義独自のものである。
印象的な場面
- 許都での書簡拒否:曹操は筆墨を用意させ、徐母に徐庶を呼び戻す手紙を書くよう命じた。彼女はまず劉備とはどのような人物かと問い、曹操が劉備をけなすと、すぐさま劉備を弁護し、曹操を激しく罵った。「手紙を書く」という要求に対する彼女の拒絶がその気丈さを際立たせるとともに、小説の彼女が単に人に操られる餌ではなく、自ら政治的立場を表明する人物であることを示す。(演義独自)
- 堂上での息子への叱責:徐庶は偽の手紙にだまされて戻り、泣きながら母に拝礼した。事情を知った徐母は卓をたたいて激しく叱り、忠と孝を両立するのは難しいと説き、一通の偽書に欺かれて明を捨て、暗に投じたことを責めた。彼女が屏風の向こうへ入ったことで、徐庶の急な帰還は再会から取り返しのつかない別れへと変わった。(演義独自)
- 梁にかけられた最期:家人が徐母は梁に首をつって亡くなったと告げ、徐庶が駆けつけたときには、すでに息絶えていた。小説はこれを、息子の誤った判断に対する彼女の断固たる応答として描き、程昱の離間策が母子の永別という代償をもたらしたことを示す。『三国志(さんごくし)』にはこの最期の記載がない。(演義独自)
台詞
- 演 ch.36 §12
「劉備何如人也?」
- 演 ch.37 §2→ 徐庶
「汝何故至此?」
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