孫呉 · 中書令、少傅
孫弘
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孫弘(そんこう)は孫呉の中書令・少傅。党争で讒言し、孫権の死後、詔を偽って諸葛恪を除こうとして誅殺された。
生涯
正史 6 巻
- 孫呉· 年代不詳
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史書の記録(Historical Record)
孫弘は孫呉(そんご)の中書令であり、孫権(そん けん)の晩年には少傅も兼任し、年少の太子を補佐するとともに、後事を託されて処理にあたった。『三国志(さんごくし)』によれば、孫権が重病に陥ると、諸葛恪(しょかつかく)、孫弘、滕胤(とういん)、呂拠(りょきょ)、孫峻(そん しゅん)らを召して後事を託した。このとき、孫弘と諸葛恪は不仲だった。孫権の死去翌日、孫弘は喪を公表せず、詔命を偽って諸葛恪を除こうとした。孫峻はこの件を諸葛恪に知らせ、諸葛恪は孫弘を呼んで事を協議し、席上で彼を誅殺した。その後になって、ようやく孫権の死を公表して喪に服した。
孫弘は、朝廷の派閥争いにおいても鮮明な記録を残している。『三国志』は彼を「佞偽険詖」と評し、張休(ちょうきゅう)と以前から不仲だったため讒言し、孫権に詔を下させて張休に死を賜らせたと記す。朱拠(しゅきょ)は太子の孫和(そん か)を支持し、廃立に反対したため、左遷された。その後、孫弘は孫権が重病になると、詔書によって朱拠に死を賜るよう働きかけた。また、裴注が引く『呉書』によれば、孫権は病中に孫和の召還を検討したが、孫弘、全公主(ぜんこうしゅ)、孫峻らは強く反対した。
陸凱(りくがい)は上疏して政局と民生について論じた際、「孫弘が義兵を起こしたこと」を一つの政策の起点に挙げた。そして、その後、耕作が荒廃し、父子が別々に徭役に就き、穀物の備蓄が損なわれ、民が離散したと指摘し、関連する施策を中止して孤児や弱者を救済するよう求めた。これは陸凱の奏議における非難であり、孫弘の決定が当時の賦役や民生の問題と結びついていたことを示す。ただし、資料はここで「義兵」の具体的な経緯を説明していない。
小説での描写(In the Novel)
『三国演義』はこの人物を描いていない。現存する資料には、小説における孫弘の人物造形についての記述がない。そのため、これを根拠に小説での言動を補ってはならず、史書に記された派閥争いや讒言、臨終時の政変を小説の筋立てに移してはならない。
主要な関係
孫弘と孫権の関係には、近臣であり、後事を託されて補佐にあたったという側面がある。孫権は重病の際に彼を少傅に任じ、召し出して後事を託した。一方で、孫弘は孫和と孫覇(そん は)の争いにおいても、政治的な立場を示した。裴注が引く『通語』によれば、彼は魯王・孫覇の側につき、礼を重んじて太子を支持する官僚たちと対立した。
孫弘と諸葛恪の関係は、同じく後事を託された間柄から、命を奪い合う対立へと変わった。孫権の死後、孫弘は喪を秘して詔を偽り、諸葛恪を除こうとした。孫峻から密告を受けた諸葛恪は、協議を名目に席を設けて孫弘を呼び、誅殺した。これは二人の私怨と権力争いの帰結であり、孫権の死が公表される前に、政権に激しい変動が起きたことを意味する。
張休や朱拠との関係には、讒言によって人の生死に影響を及ぼす孫弘の政治手法が表れている。張休は孫弘の讒言によって死を賜り、太子の孫和を支持した朱拠は左遷された後、孫弘が孫権の病中に詔書を偽って死を賜った。
象徴的な場面
孫権の死後、席上で孫弘が誅殺された場面は、孫弘の伝記において最も劇的な場面である。孫権が崩御した翌日、孫弘はまだ喪を公表しておらず、詔を偽って諸葛恪を除こうとしていた。孫峻が先に密告したため、諸葛恪は事の協議を名目に孫弘を席へ呼び、その場で誅殺してから喪を公表し、喪に服した。緊迫感を生んでいるのは、権力移行の時間差である。後事を託された重臣たちは、君主の死を公表する前から、新たな政局の主導権を争っていた。
もう一つの重要な場面は、孫権が病中、後継者問題をめぐって何度も態度を揺らしたことである。孫和が幽閉された後、朱拠らは命がけで諫言した。裴注には、孫権が重病の際に孫和を召還しようとしたものの、孫弘らが強く反対し、結局この案が取り下げられたとある。孫弘は臨終時の政変にだけ現れる人物ではなく、孫呉(そんご)の後継者争いにおける意思決定の中枢にもいた。
孫弘への評価にあたっては、資料の層の違いも保つべきである。彼が「佞偽険詖」であったこと、讒言によって張休と朱拠の死を招いたこと、詔を偽って諸葛恪を除こうとしたことは、いずれも『三国志』の関連記述に見える。一方、魯王・孫覇の側についたことや、孫和の召還に反対したことについては、裴注の引用文が補足している。陸凱による「孫弘が義兵を起こしたこと」への批判は、奏議における政務上の非難であり、資料に記されていない個人的な動機や具体的な戦事にまで広げるべきではない。
戦績
戦場の記録
原文に記された一騎討ち・討ち取り・処刑を、史書と演義に分けて数えます。
- 史巻57処刑朱拠(しゅきょ)勝「弘為詔書追賜死」
計略
その人物が立てた計略と見破った計略(原文に基づく)。
- 史
- 実行2 · 成功2 · 不採用0 · 看破0
- 史張休を讒言で殺す離間成功対張休巻52「弘因是譖訴,下詔書賜休死」
- 史偽詔で死を賜る詐術成功巻57「弘為詔書追賜死,時年五十七」

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諸葛恪
敵対
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正史 · 巻 64
- 諸葛恪§14
敵対
かねてより恪に不満を抱いていた;孫権の死を秘したまま、詔を偽造して恪を除こうとする