言語
鮑

鮑隆

登場回
1
台詞の記録
2
人間関係
2
内面の独白
1

史載(Historical Record)

鮑隆は史書に記載がない。『三国志(さんごくし)』などの正史資料には、鮑隆という名の人物の事績や記録は一切見当たらない。したがって、史伝の材料から鮑隆に関する考証可能な事実を得ることはできない。

演中(In the Novel)

鮑隆は『三国演義』における架空の人物で、初めて登場するのは第五十二回 である。彼は陳應とともに桂陽郡(けいようぐん)の山郷の猟師の出身で、勇力をもって知られた。演義では、鮑隆は二頭の虎を射殺したことのある猛士として描かれており、これが彼の武勇と狩猟の技を際立たせている。劉備(りゅうび)が趙雲(ちょううん)に軍を率いさせて桂陽を攻めさせたとき、桂陽太守の趙範(ちょうはん)は諸将を召集して対策を協議した。鮑隆と陳應は自ら進んで出陣を願い出て、前部となって趙雲に対抗したいと申し出た。彼らは自らの勇武を恃み、趙範に「劉備がもし来れば、われら二人が前部とならん」と言った。趙範は劉備配下の将の強大さを耳にしており、降伏に傾いていたが、鮑隆と陳應は出陣を主張した。陳應はさらに、もし趙雲を生け捕りにできなければ、その時に降伏しても遅くはないと述べた。

続く筋立てにおいて、鮑隆と陳應は趙範が趙雲に対抗するのを助けるため、一つの偽りの降伏の計を提案した。彼らは趙雲に降伏したふりをして、機に乗じて陣前で趙雲を捕らえる計画であった。鮑隆は、二人が趙雲の軍中に偽降し、趙範が兵を率いて挑戦に来れば、その折に陣上で趙雲を捕らえることができると提案した。陳應はいくらか人馬を連れる必要があると補足し、鮑隆は五百騎で十分だと考えた。この計は鮑隆の軍事的謀略の一面を示しており、最終的には成功しなかったものの、彼が演義において趙範の部下として、純粋な武力ではなく智謀によって問題を解決しようとする形象を反映している。鮑隆の演義における出番は多くなく、主に陳應とともに趙範のために策を巡らし出陣を願い出る筋立てをめぐって展開し、最終的に桂陽が趙雲に攻め取られる運命を変えることはできなかった。

重要な関係

* 趙範:鮑隆の直接の上司であり、桂陽太守。鮑隆は趙範の部下として、その指図に従い、また彼のために策を巡らせ、趙雲の進攻に抵抗しようとした。鮑隆は陳應とともに趙範に出陣を願い出て、偽りの降伏の計を提案した(演義独自)。
* 陳應:鮑隆の同郷であり戦友。二人はともに桂陽の山郷の猟師の出身で、勇力を恃み、ともに趙範に出陣を願い出て、共同で対策を協議した。両者の関係は肩を並べて戦う仲間である(演義独自)。
* 趙雲:鮑隆の対手。鮑隆と陳應は武力あるいは計略によって趙雲に対抗しようとしたが、最終的に成功しなかった。鮑隆の偽りの降伏の計は、まさに趙雲に対して設けられたものである(演義独自)。

象徴的な場面

鮑隆の象徴的な場面は、主に『三国演義』第五十二回に集中しており、彼が陳應とともに桂陽太守の趙範に出陣を願い出る場面である。趙雲が軍を率いて桂陽に迫ったとき、趙範は部下を召集して対策を協議した。鮑隆と陳應は自らの勇武を恃み、自ら進んで願い出て、前部となって出陣することを表明した。鮑隆はさらに「かつて二頭の虎を射殺した」という経歴をもって、その並々ならぬ武力を顕示した。この場面は鮑隆個人の勇猛さを示すだけでなく、後に彼が陳應とともに趙雲を偽降の計で謀る伏線をも埋めた。趙範は劉備配下の将の実力に懸念を抱いていたが、鮑隆と陳應の固執が筋立ての展開を推し進め、また趙雲の桂陽における征戦をいっそう劇的なものとした。鮑隆のこの場面での振る舞いは、彼を勇猛でありながらやや軽率な将としての形象に確立した(演義独自)。

人間関係

2 件の関係

台詞

  • 演 ch.52 §19→ 趙範(ちょうはん)

    「我兩個詐降到他軍中,太守卻引兵來搦戰,我二人就陣上擒之。」

  • 演 ch.52 §19→ 陳應

    「五百騎足矣。」

登場回1 回 ▸
  • 演ch.52
関係の年表1 条 ▸

演 ch.52

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は鮑隆。もとは桂陽郡(けいようぐん)嶺山の郷里で狩りをしていたが、のちに官軍の校尉となった。昔、山中で獣を追っていたころ、頼りにしていたのは目の力と胆力、そして一張りの弓だった。虎を二頭射殺したこともあり、そうした昔話が郷里に広まると、私
生涯の大事1 ▸