史実(Historical Record)
陳應なる人物については、『三国志(さんごくし)』などの正史の記載に一切言及がない。史料には、陳應という名の将や人物が劉備(りゅうび)、趙雲(ちょううん)ら蜀漢(しょくかん)陣営と交わりを持ったという記載もなく、また桂陽郡(けいようぐん)で官職に就いたり、いかなる軍事行動に参加したりしたという記載もない。したがって、史伝資料から見れば、陳應は実在の歴史的人物ではない。
演義(In the Novel)
羅貫中の歴史小説『三国演義』においては、陳應は桂陽太守趙範(ちょうはん)麾下の校尉として登場する。彼はもう一人の校尉である鮑隆と同じく桂陽の嶺山郷の猟師の出身であり、二人ともに勇武を恃みとしていた。陳應は特に飛叉を使うことに長け、鮑隆はかつて二頭の虎を射殺したことで知られていた c:4083。
趙雲が軍を率いて桂陽に迫ったとき、趙範はもともと降伏しようとしたが、陳應と鮑隆は自ら進んで出陣を願い出た。陳應は趙範に対し、もし趙雲を生け捕りにできなければ、その時に降伏しても遅くはないと述べた c:4083。趙範は二人を抑えきれず、やむなく承諾した。陳應はそこで三千の人馬を率いて城を出て敵を迎えた。彼は趙雲と矛を交え、数合のうちに敵わぬと感じ、馬を返して逃げ出した。逃げる途中、陳應は飛叉で趙雲を不意打ちしようとしたが、趙雲にやすやすと受け止められ、投げ返された。最終的に、陳應は趙雲に生け捕りにされた c:15296。
捕らえられた後、趙雲は彼を殺さず、かえって釈放し、戻って趙範に降伏を勧めるよう命じた。しかし、陳應は城に戻ると、これによって畏れを抱くどころか、かえって鮑隆と偽りの降伏の計を密かに謀った。彼らの計画は、陳應と鮑隆が降伏を装って趙雲の軍に入り、その後で趙範が兵を引いて挑戦し、二人がその隙に陣中で趙雲を捕らえるというものであった。陳應はいくらか人馬を連れて行く必要があると提案し、鮑隆は五百騎で十分だと考えた c:15297。この計は最終的に成功せず、鮑隆は実行の過程で趙雲に見破られて射殺され、陳應のその後の結末はそれ以上詳しく言及されていないが、その謀もまた失敗に終わったと推測できる。
重要な関係
* 趙範(commands_in):陳應は桂陽太守趙範麾下の校尉である c:4083。趙雲が城下に迫ったとき、陳應は趙範の部下として自ら進んで出陣を願い出て、趙範と趙雲との駆け引きに加わった。彼は鮑隆と共に趙範に計を献じ、偽りの降伏によって趙雲を捕らえようとした c:15297(演義独自)。
* 鮑隆(同僚):陳應は鮑隆と同じく桂陽の校尉であり、いずれも猟師の出身で、勇力を恃みとしていた c:4083。二人は趙雲に立ち向かう際、共に対策を協議し、共に偽りの降伏の計を実行した、小説における肩を並べて戦う同僚の関係である c:15297(演義独自)。
* 趙雲(対手):陳應は戦場で趙雲と直接矛を交えた。彼はかつて飛叉で趙雲を不意打ちしようとしたが、趙雲にやすやすと化解され、生け捕りにされた c:15296。趙雲は陳應が小説において最も重要な相手であり、またその謀を失敗に追いやった鍵となる人物である(演義独自)。
象徴的な場面
陳應の象徴的な場面は、まぎれもなく趙雲との初めての交戦である。趙雲が軍を率いて桂陽城下に到着したとき、陳應は自ら進んで出陣を願い出た。彼は馬に乗り叉を構えて出陣し、趙雲と対決を繰り広げた。四、五合に至ったとき、陳應は敵わぬと自覚し、馬を返して逃げ出した。逃げる途中、彼は自らの絶技である飛叉を繰り出し、追いかけてくる趙雲に向けて投げつけた。しかし、この一手は趙雲にやすやすと受け止められ、逆手に投げ返された。最終的に、陳應は趙雲に生け捕りにされ、縛り上げて寨へ連れ帰れと喝破された c:15296。この場面は、陳應の勇武、そして彼と趙雲との間の大きな武力の差を十分に示すとともに、後続の偽りの降伏の筋立てへの伏線をも敷いている(演義独自)。
人間関係
2 件の関係
敵対1
その他1
名言
全 5 件の台詞 · 厳選 2 件
「我等只服曹丞相,豈順劉備!」
この一句は陳應が曹操(そうそう)に忠誠を尽くす立場を示しており、その人物の核心的な特質の表れである。
「某請出戰。若擒不得趙雲,那時任太守投降不遲。」
この一句は陳應の勇猛さと自信を表しており、その武将としての姿の典型的な描写である。
登場回1 回 ▸
- 演ch.52
関係の年表1 条 ▸
演 ch.52
- 趙範(ちょうはん)§14
commands_in
桂陽校尉;自请出战不许投降
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
- 私は陳應(ちんおう)。もとは桂陽郡(けいようぐん)の嶺山(れいざん)郷の猟師で、のちに官軍の校尉となった。平素は己の力を頼み、手にした飛叉で敵を退けるに足るとも信じていた。趙雲(ちょううん)が兵を率いて迫っていると聞き、鮑隆とともに出陣を願
生涯の大事1 ▸
- 0209-01-01 · 桂陽郡(けいようぐん)趙雲(ちょううん)の桂陽攻略· 戦死