言語
鄭

鄭度

登場回
3
台詞の記録
2
人間関係
1
内面の独白
1

史書の記録(Historical Record)

鄭度は広漢の人で、かつて益州(えきしゅう)の従事を務めた。劉備(りゅうび)が兵を率いて益州を攻め、雒城(らくじょう)を包囲したとき、鄭度は劉璋(りゅう しょう)に策を献じ、堅壁清野(城を固め、野を空にして敵に補給させない)の策を採るよう進言した。彼は、劉備の軍は遠路はるばる来ており、兵力は一万に満たず、兵卒もまだ完全には心服しておらず、しかも輜重を欠き、おもに野外の糧秣の補給に頼っていると指摘した。そこで鄭度は、巴西・梓潼の二地の百姓をことごとく涪水の西へ移し、沿道のすべての穀倉と野の穀物を焼き払い、そのうえで深く濠を掘り、高く塁を築いて、劉備軍の到来を静かに待つよう提案した。彼は、劉備軍が到着したのちは、その挑戦に応じず、長期にわたり補給を得られないようにすべきだと考えた。鄭度は、劉備軍は百日以内にかならず糧が尽きてみずから退却するであろうから、そのとき出兵して追撃すれば、これを擒えることができると判断した c:3864。

しかし、劉璋は鄭度の計を採用しなかった。彼はこう反論した。「敵を拒むのは民を安んずるためだと聞いてはいるが、民を動かして敵を避けるとは聞いたことがない」と。そこで劉璋は鄭度を罷免し、その建議を用いなかった。のちに劉備軍が雒城を包囲したとき、法正(ほうせい)は劉璋に書を送り、そのなかで劉璋が鄭度の計に従えなかったことに言及しており、これは鄭度が策を献じたという史実をも間接的に裏づけている c:3864。

演義のなかで(In the Novel)

『三国演義』においても、鄭度の人物像は史実とほぼ一致しており、おもに劉璋の謀士として登場し、堅壁清野の計を献じている。雒城が陥落したのち、劉璋が群官を召集して対策を協議すると、鄭度は再び史実の記載と同じ策を提示した。彼は、劉備軍は兵力が多くなく、兵卒も心服しておらず、輜重を欠き、野外の糧秣に頼っていると分析した。そこで彼は、巴西・梓潼の百姓を涪水の西へ移し、すべての穀倉と野の穀物を焼き払い、深く濠を掘り高く塁を築いて、固く守って戦わないよう建議した。彼は、劉備軍が百日以内にかならず糧が尽きて退却するであろうから、そのとき出兵して追撃すれば劉備を擒えられると予測した c:14906。

史実と同様に、演義のなかでも劉璋は鄭度の建議を退け、こう言った。「吾は、敵を拒んで民を安んずるとは聞いたが、民を動かして敵に備えるとは聞かぬ。この言は、全きを保つ計ではない」と c:14906。演義はさらに、この場面が劉備の側に与えた影響を描いている。法正が人を遣わして劉備に報告し、鄭度が劉璋に野の穀物を焼き百姓を移すよう勧めた計に言及すると、劉備と諸葛亮(しょかつりょう)はともに大いに驚き、「もしこの言が用いられれば、我が勢いは危うい!」と考えた c:3865。しかし、法正は自信をもって、劉璋はかならずこの計を採用しないと告げた。はたして、ほどなくして劉璋が百姓を移すことを肯んぜず、鄭度の言に従わなかったという報せが届き、劉備と諸葛亮はようやく安堵したのである c:3865。この場面は、劉備と孔明の反応を通じて、鄭度の計の苛烈さと有効性を側面から際立たせ、また劉璋の仁慈、あるいは迂遠さをも浮き彫りにし、それが最終的に彼の敗北を招いたことを示している。

重要な関係

* 劉璋(advises_in):鄭度は劉璋の従事であり、かつて劉璋に堅壁清野の計を献じ、劉備の進攻を阻もうとした。しかし劉璋は百姓を移すことに忍びず、この計を採用しなかったため、最終的に益州を失う結果となった c:3864 c:14906。
* 劉備:鄭度の計は劉備の侵攻に対抗することを狙いとしていた。もし計が採用されていれば、劉備軍に多大な困難をもたらし、退却に追い込んだ可能性すらある c:3864 c:3865。
* 諸葛亮:演義においては、諸葛亮と劉備はともに、鄭度の計がひとたび実行されれば、自分たちに深刻な脅威となると考えた c:3865(演義のみ)。
* 法正:法正は鄭度の計を明確に認識していたが、劉璋の性格をよく知っており、劉璋が鄭度の建議を採用しないと予見していたため、劉備と諸葛亮を安心させた c:3864 c:3865。

象徴的な場面

* 堅壁清野の計を献ず:これは鄭度が最もよく知られている場面である。劉備が益州を攻める重要な局面において、鄭度は劉璋に、百姓を移し糧秣を焼いたうえで、固く守って戦わない策を献じた。この計が成れば、劉備の攻勢を効果的に抑え、退却を強いることすらできたであろう c:3864 c:14906。
* 劉璋、採用を拒む:劉璋は「敵を拒んで民を安んずるが、民を動かして敵を避けるとは聞かぬ」という理由で、鄭度の計を退け、彼を罷免した。この決断は鄭度の運命の転機であるばかりでなく、益州の戦局の行方をも直接左右した c:3864 c:14906。
* 劉備・孔明、計を聞いて顔色を変える:『三国演義』において、劉備と諸葛亮は鄭度の計を知ると、ともに大いに驚き、この計が採用されれば窮地に陥ると考えた。この場面は、鄭度の計の有効性と苛烈さを際立たせている c:3865(演義のみ)。

人間関係

1 件の関係

台詞

  • 史 ch.37 §11→ 劉璋(りゅう しょう)

    「左將軍縣軍襲我,兵不滿萬,士眾未附,野谷是資,軍無輜重。其計莫若盡驅巴西、梓潼民內涪水以西,其倉廩野谷,一皆燒除,高壘深溝,靜以待之。彼至,請戰,勿許,久無所資,不過百日,必將自走。走而擊之,則必禽耳。」

  • 演 ch.64 §20→ 劉璋(りゅう しょう)

    「今劉備雖攻城奪地,然兵不甚多,士眾未附,野穀是資,軍無輜重。不如盡驅巴西、梓潼民,過涪水以西。其倉廩野穀,盡皆燒除,深溝高壘,靜以待之。彼至請戰勿許,久無所資,不過百日,彼兵自走。我乘虛擊之,備可擒也。」

登場回3 回 ▸
  • 史ch.37
  • 演ch.64ch.65
関係の年表2 条 ▸

史 ch.37

演 ch.65

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は鄭度、広漢(Guanghan)の出身で、州の従事を務めている。このとき、劉備(りゅうび)の軍が益州(えきしゅう)に迫っていた。兵は一万に満たず、遠路を来たうえに輜重もなく、兵士たちもまだ心服していない。頼みとするものは、道中で採れる野の