言語
荀

董卓集団(とうたくしゅうだん) · 司徒

荀爽(じゅん そう)

字 慈明

登場回
2
台詞の記録
0
人間関係
1
内面の独白
1

史載(Historical Record)

荀爽(じゅん そう)(字は慈明)の史伝の材料については、現在のところ明確な記載がない。『三国志(さんごくし)』などの正史には、荀爽の生涯の事跡や具体的な言行を直接描写した篇章を見いだすことができない。したがって、史伝の材料に依拠して彼について客観的に陳述することはできない。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』においては、荀爽は一人の司徒として、董卓(とう たく)が長安(ちょうあん)に遷都しようとした鍵となる時に登場し、その正直で敢えて諫言する品格を示している。董卓が長安への遷都の計画を提起したとき、司徒の楊彪(ようひょう)がまず異議を唱え、関中は荒廃しており百姓はおそらく動揺するであろうし、しかも天下は動かすは易く安んずるは難しいと指摘した c:6136。続いて、太尉の黄琬(こうえん)も楊彪に附和し、王莽の簒逆、更始・赤眉の時に長安が焼き尽くされ、人民が流離した惨状を例に挙げ、長安への遷都の不当を力説した c:6136。

このとき、荀爽もまた身を挺して進み出て、董卓に進諫し、「丞相もし遷都を欲せば、百姓は騒動して寧からざらん」と指摘した c:6136。その言葉は簡短ではあったが、董卓の決策がもたらしうる民生の動揺をずばりと突いていた。しかし、董卓はこれらの忠言逆耳の諫言に対し、きわめて大きな怒りを示した。彼は楊彪と黄琬の懸念を駁斥し、長安への遷都は天下の大計のためであり、小民を惜しまないと言い放った c:6136だけでなく、荀爽らの諫めにも一切容赦しなかった。ついに董卓は怒りに任せて、その日のうちに楊彪・黄琬・荀爽の三人を庶民に罷免した c:6136。この筋は史書には明確な記載がなく、『三国演義』が董卓の専横跋扈にして忠言を納れぬ像を造形し、漢末の士人の正直不屈の品格を際立たせるために行った文学創作である。

主要な関係

荀爽の『三国演義』における鍵となる関係は、主に彼と董卓集団(とうたくしゅうだん)との対立に表れている。彼は漢朝の司徒として、当時の朝廷における一部の正直な士人を代表し、漢室の安定と百姓の安寧を維持しようとした。しかし、その努力は董卓の専権と尖鋭な衝突をなした。董卓集団の暴虐な行い、とりわけその民生を顧みず強行する遷都の決策は、ただちに荀爽らの罷免を招き、彼と董卓集団との決裂(defected_from)を画した。この対立関係は、『三国演義』において荀爽が他の朝臣とともに董卓に進諫する筋を通じて生き生きと描かれている c:6136(演義独自)。

象徴的な場面

荀爽の象徴的な場面は、まぎれもなく彼が董卓の長安遷都に際し、他の朝臣とともに進諫する一節である c:6136。『三国演義』第六回において、董卓が長安への遷都の計画を提起したとき、司徒の楊彪、太尉の黄琬が相次いで利害を陳述し、董卓に再考を力説した。荀爽も司徒として、董卓の権勢を少しも恐れず、「丞相もし遷都を欲せば、百姓は騒動して寧からざらん」と直言した c:6136。その諫めは結局董卓の決定を変えることはできず、かえって自身が庶民に罷免される結果を招いたが、この場面は荀爽が漢室の忠臣として、敢えて直言進諫し、強権を恐れぬ品格を十分に示している。この筋は『三国演義』において荀爽が唯一明確に登場し役割を果たす瞬間であり、その正直不阿の像を深く刻むとともに、董卓の残暴な統治にまた一つの罪証を添えてもいる c:6136(演義独自)。

人間関係

1 件の関係

登場回2 回 ▸
  • 史ch.10
  • 演ch.6
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は荀爽(じゅん そう)、字は慈明(じめい)である。このとき朝廷にいて、董卓(とう たく)が都を長安(ちょうあん)へ移すと言うのを聞き、真っ先に思い浮かんだのは、宮殿を造営できるかどうかでも、関所の守りが堅固かどうかでもなく、詔が下れば民は