
史載(Historical Record)
祖茂(そも)、字は大栄、その生没年は不詳であり、正史の記載において、彼は孫堅(そん けん)の部将の身分で登場し、その忠勇の事跡によって知られる。『三国志(さんごくし)』の記載によれば、董卓(とう たく)が乱政した時期、孫堅は軍を率いて董卓を討伐した。孫堅が梁東で董卓の大軍の猛烈な包囲攻撃に遭ったとき、状況は一時きわめて危急であった。孫堅は包囲を突破する過程で、傍らにはわずか数十騎を残すのみであった。主公の撤退を掩護するため、孫堅は常々戴いていた赤罽幘(一種の赤い頭巾)を脱ぎ、親近の将領である祖茂に渡して戴かせた c:2888。董卓の騎兵はすぐさま祖茂を追い、孫堅は間道から脱出することができた。祖茂は追撃される苦境の中で、機転を利かせ、馬を下りて赤罽幘を墓のそばの焼け柱に掛け、自らは草むらの中に潜んだ。董卓の追兵は遠くから赤罽幘を望み見て、それを幾重にも取り囲んだが、近づいてはじめてそれがただの柱にすぎないと気づき、そこで去って行った。祖茂のこの行いは、みごとに敵軍の注意を引きつけ、孫堅の脱出に貴重な時間を稼いだ。その後、孫堅は再び兵力を収め、陽人で董卓軍と再び交戦し、ついに董卓軍を大破し、その都督の華雄(かゆう)らを斬殺した c:2888。正史における祖茂の記載は、主にこの戦役での勇敢な働きに集中しており、その後の事跡や結末には言及しておらず、また対白の記録もない。彼は身を捨てて主のために尽くし、智勇兼備の像をもって、孫堅の討董の早期の戦役に色濃い一筆を残した。
演義(In the Novel)
羅貫中『三国(さんごく)演義』の文学的造形において、祖茂の像はさらに肉づけされ劇的に描かれ、とりわけ孫堅が董卓を討伐し、華雄の追撃に遭うくだりにおいて、祖茂の忠勇と犠牲の精神が色濃く描き出されている c:12881。演義では、祖茂は字を大栄といい、孫堅麾下の一猛将である。第五回で、華雄が夜に孫堅の大寨を襲い、孫堅はあわてて応戦し、華雄と数合交えたところ、李肅軍が放火したために混乱に陥った。このとき、ただ祖茂のみが孫堅にぴたりと従い、ともに包囲を突破した。華雄に追いすがられて引き離されぬ折、孫堅は続けて二矢を放ったが当たらず、三矢目は力を入れすぎて鵲画弓を折ってしまい、弓を捨てて逃げるほかなかった。祖茂はこれを見て、孫堅に目立つ赤幘を脱がせ、自分がそれを戴いて華雄の追撃を引きつけ、主公に逃れる機会を稼ごうと自ら申し出た c:12881。孫堅は言に従って赤幘を脱ぎ、祖茂がそれを戴いた後、二人は分かれて逃げた。華雄は果たして赤幘を戴いた祖茂を追うことばかりに気を取られた。祖茂は急なところまで追われて、赤幘を焼け残った庭柱に掛け、自らは林の中に隠れた。華雄軍は赤幘を取り囲み、矢でこれを射て、はじめて計に陥ったと知った。このとき、祖茂は林の後ろから討って出て、双刀を振るって華雄を斬ろうとしたが、華雄に大喝一声され、一刀のもとに馬下に斬り落とされ、勇敢に犠牲となった c:2889。演義では、祖茂の犠牲は孫堅に大きな悲痛をもたらし、また袁紹(えんしょう)ら諸侯に華雄の実力を震撼させ、それによって後の「温酒斬華雄」などの筋立てを引き出した c:2889。史実と比べると、演義は祖茂の犠牲の過程を詳しく描くばかりか、彼に自ら願い出て身を捨てて義を取る英雄の気概を与え、その結末を明確にし、その像をより鮮明で悲壮なものとしている。史実では祖茂は脱出するが、演義では主を救うために死ぬ。これが両者の間の最大の乖離である。
重要な関係
* 孫堅(commands_in):祖茂は孫堅の部将であり、史料でも演義でも忠心に孫堅に従った。孫堅が危難に遭ったとき、祖茂は身を挺して出て、計略あるいは犠牲によって主公の安全を守った。この主従関係は祖茂の事跡の核心である c:2888。
* 華雄(敵対):演義では、華雄は祖茂を追撃してついに斬殺した敵将であり、祖茂の犠牲をもたらした直接の原因である c:2889。史実では、華雄は董卓の部将であり、陽人の戦いで孫堅に大破され首を晒されたが、彼と祖茂の交戦には直接言及されていない c:2888。
象徴的な場面
* 赤幘の主を替え、敵を引いて脱出する:孫堅が董卓軍に包囲追撃されたとき、祖茂は自ら、あるいは孫堅の意を受けて孫堅の赤罽幘を戴き、敵軍の追撃を引きつけ、孫堅を脱出させた。これは祖茂が史料に残る唯一の記載であり、その忠勇と智謀の表れでもある c:2888。
* 幘を掛けて敵を誘い、身を捨てて義を取る:演義では、祖茂は華雄に急なところまで追われて、赤幘を庭柱に掛け、敵軍の注意を引き離した。続いて彼は林の中から討って出て、華雄を奇襲しようとしたが、ついに華雄に斬殺され、勇敢に犠牲となった。この場面は祖茂の悲壮な英雄像を大いに強め、演義における彼の象徴的な結末となった c:2889(演義独自)。
肖像アーカイブ
人物像
- 性格
- 祖茂(そも)は孫堅(そん けん)の近しい将で、夜戦においてかつて自らを孫堅(そん けん)の身代わりとし、孫堅(そん けん)の赤幘をかぶって追手を引きつけた。
- 生涯
- 祖茂(そも)は呉郡富春の人で、ある夜戦において、孫堅(そん けん)の赤幘をかぶって追手を引きつけ、最終的に華雄(かゆう)に一刀のもとに馬上から斬り落とされた。
- 武器
- 祖茂(そも)は双刀を用いた。
- 逸話
- 祖茂(そも)は孫堅(そん けん)の部将である。
人間関係
2 件の関係
台詞
- 演 ch.5 §35→ 孫堅(そん けん)
「主公頭上赤幘射目,為賊所識認。可脫幘與某戴之。」
登場回2 回 ▸
- 史ch.46
- 演ch.5
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
- 私は祖茂(そも)、字は大栄(たいえい)という。かつて梁東で兵が敗れたとき、董卓(とう たく)の軍勢は猛然と迫り、主君の孫堅(そん けん)は数十騎とともに重囲を突破した。あのとき、情勢は切迫していた。主君がいつもかぶっていた赤い毛織物の頭巾は
生涯の大事3 ▸
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