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曹魏

王稚

王稚の肖像
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王稚(おうち)は曹魏(そうぎ)の新附督で、海路で句章に入り、賞林と男女二百余人を連れ去ったことで知られる。

正史 『三国志』巻48 · 『演義』に登場せず

出典

原典に王稚が登場する箇所

  • 正史 · 巻 48『三国志』

    …夏四月,魏將新附督王稚浮海入句章,略長吏賞林及男女二百餘口。…
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    七年春正月,大赦。二月,鎮軍陸抗、撫軍步恊、征西將軍留平、建平太守盛曼,率衆圍蜀巴東守將羅憲。夏四月,魏將新附督王稚浮海入句章,略長吏賞林及男女二百餘口。將軍孫越徼得一船,獲三十人。秋七月,海賊破海鹽,殺司鹽校尉駱秀。使中書郎劉川發兵廬陵。豫章民張節等爲亂,衆萬餘人。魏使將軍胡烈步騎二萬侵西陵,以救羅憲,陸抗等引軍退。復分交州置廣州。壬午,大赦。癸未,休薨,〈《江表傳》曰:休寢疾,口不能言,乃手書呼丞相濮陽興入,令子𩅦出拜之。休把興臂,而指𩅦以託之。〉時年三十,謚曰景皇帝。〈葛洪《抱朴子》曰:吳景帝時,戍將於廣陵掘諸冢,取版以治城,所壞甚多。後發一大冢,內有重閤,戶扇皆樞轉可開閉,四周爲徼道通車,其高可以乘馬。又鑄銅爲人數十枚,長五尺,皆大冠朱衣,執劒列侍靈座,皆刻銅人背後石壁,言殿中將軍,或言侍郎、常侍。似公王之冢。破其棺,棺中有人,髮已班白,衣冠鮮明,面體如生人。棺中雲母厚尺許,以白玉璧三十枚藉尸。兵人輩共舉出死人,以倚冢壁。有一玉長一尺許,形似冬瓜,從死人懷中透出墮地。兩耳及鼻孔中,皆有黃金如棗許大,此則骸骨有假物而不朽之効也。〉

王稚(Wang Zhi)は曹魏(そうぎ)の新附督であり、『三国志(さんごくし)』巻四十八に記されている。演義には登場しない。

事績

  • 魏の将である王稚は、七年夏四月に海を渡って句章(Juzhang)に侵入し、長吏の賞林(Shang Lin)と男女二百余人を捕らえて連れ去った(史書の記載)。

関係

  • 曹魏(そうぎ)に属し、新附督として行動した。

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所属勢力

曹魏(そうぎ)は、三国(さんごく)時代に「魏」を国号とした政権である。後漢末期、曹操(そうそう)は次第に朝廷の大権を掌握し、魏公、魏王に相次いで封じられ、曹氏政権樹立の基礎を築いた。建安二十五年(220年)、曹丕(そうひ)は魏王位を継ぎ、漢献帝(かんけんてい)から禅譲を受けて皇帝に即位し、黄初と改元して国号を大魏と定めた。漢献帝は山陽公に封じられた。曹丕の後は曹叡(そうえい)が即位した。曹叡には子がなく、曹芳(そうほう)を養子として立てた。曹芳の即位に際しては、大将軍の曹爽(そうそう)と太尉の司馬懿(しばい)が政務を補佐した。その後、曹芳の廃位(そうほうのはいい)が行われ、曹髦(そうぼう)が迎えられて帝位に就いた。曹髦の死後、曹奐(そうかん)が即位した。曹魏の皇位は、曹丕、曹叡、曹芳、曹髦、曹奐へと順に継承された。

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