曹魏
鄭像

鄭像(ていしょう)は魏の合肥新城(ごうひしんじょう)の守兵で、捕虜となった後も城内に軍情を伝え、守備兵を鼓舞したため関中侯を追贈された。
出典
原典に鄭像が登場する箇所
正史 · 巻 4『三国志』
…又遣士鄭像出城傳消息,或以語恪,恪遣馬騎尋圍跡索,得像還。四五人靮頭靣縛,將繞城表,勑語像,使大呼,言『大軍已還洛,不如早降。』…
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六年春二月己丑,鎮東將軍毌丘儉上言:「昔諸葛恪圍合肥新城,城中遣士劉整出圍傳消息,為賊所得,考問所傳,語整曰:『諸葛公欲活汝,汝可具服。』整罵曰:『死狗,此何言也!我當必死為魏國鬼,不苟求活,逐汝去也。欲殺我者,便速殺之。』終無他辭。又遣士鄭像出城傳消息,或以語恪,恪遣馬騎尋圍跡索,得像還。四五人靮頭靣縛,將繞城表,勑語像,使大呼,言『大軍已還洛,不如早降。』像不從其言,更大呼城中曰:『大軍近在圍外,壯士努力!』賊以刀築其口,使不得言,像遂大呼,令城中聞知。整、像為兵,能守義執節,子弟宜有差異。」詔曰:「夫顯爵所以襃元功,重賞所以寵烈士。整、像召募通使,越蹈重圍,冒突白刃,輕身守信,不幸見獲,抗節彌厲,揚六軍之大勢,安城守之懼心,臨難不顧,畢志傳命。昔解楊執楚,有隕無貳,齊路中大夫以死成命,方之整、像,所不能加。今追賜整、像爵關中侯,各除士名,使子襲爵,如部曲將死事科。」
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鄭像は魏の合肥新城(ごうひしんじょう)の守備兵で、『三国志(さんごくし)』巻四に記載がある。演義にはこの人物は登場しない。
事績
- 諸葛恪(しょかつかく)が合肥新城を包囲した際、鄭像は命を受けて城外へ消息を伝えに出たが、呉軍に見つかり、連れ戻された。(史書の記載)
- 呉軍は鄭像を後ろ手に縛って城外へ連れ出し、「大軍はすでに洛へ帰った。早く降伏するに越したことはない」と叫ぶよう命じた。鄭像は従わず、かえって大声で城内に、魏軍はまだ城の周囲にいると告げ、守備兵を励ました。(史書の記載)
- 呉軍は刀を鄭像の口に押し込んだが、それでも鄭像は大声で叫び、城内に聞こえた。のちに魏の朝廷は鄭像に関中侯の爵位を追贈し、兵卒の身分を免じ、その子が爵位を継ぐことを認めた。(史書の記載)
関係
- 劉整とともに消息を伝えた魏の守備兵であり、魏の朝廷は二人を並べて称揚した。
- 子が関中侯の爵位を継いだ。

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敵対
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