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曹魏 · 重臣

楊僕

楊僕の肖像
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楊僕(ようぼく)は曹魏(そうぎ)側の武都(ぶと)の氐王で、部衆を率いて内附し、漢陽郡に居住したことで知られる。

正史 『三国志』巻2 · 『演義』に登場せず

出典

原典に楊僕が登場する箇所

  • 正史 · 巻 2『三国志』

    …武都氐王楊僕率種人內附,居漢陽郡。〈《魏略》載王自手筆令曰:「吾前遣使宣國威靈,而達即來。…
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    孫權遣使奉獻。蜀將孟達率衆降。武都氐王楊僕率種人內附,居漢陽郡。〈《魏略》載王自手筆令曰:「吾前遣使宣國威靈,而達即來。吾惟春秋襃儀父,即封拜達,使還領新城太守。近復有扶老攜幼首向王化者。吾聞夙沙之民自縛其君以歸神農,豳國之衆襁負其子而入酆、鎬,斯豈驅略迫脅之所致哉?乃風化動其情而仁義感其衷,歡心內發使之然也。以此而推,西南將萬里無外,權、備將與誰守死乎?」〉

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楊僕は曹魏(そうぎ)側の武都(ぶと)の氐族王で、部衆を率いて帰順し、漢陽郡(かんようぐん)に居住した。『三国演義』には登場しない。

事績

楊僕は部衆を率いて曹魏(そうぎ)に帰順し、漢陽郡(かんようぐん)に居住した。(史書による)

関係

  • 武都(ぶと)の氐族部衆を率いて曹魏(そうぎ)に帰順した
曹魏

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曹魏

所属勢力

曹魏(そうぎ)は、三国(さんごく)時代に「魏」を国号とした政権である。後漢末期、曹操(そうそう)は次第に朝廷の大権を掌握し、魏公、魏王に相次いで封じられ、曹氏政権樹立の基礎を築いた。建安二十五年(220年)、曹丕(そうひ)は魏王位を継ぎ、漢献帝(かんけんてい)から禅譲を受けて皇帝に即位し、黄初と改元して国号を大魏と定めた。漢献帝は山陽公に封じられた。曹丕の後は曹叡(そうえい)が即位した。曹叡には子がなく、曹芳(そうほう)を養子として立てた。曹芳の即位に際しては、大将軍の曹爽(そうそう)と太尉の司馬懿(しばい)が政務を補佐した。その後、曹芳の廃位(そうほうのはいい)が行われ、曹髦(そうぼう)が迎えられて帝位に就いた。曹髦の死後、曹奐(そうかん)が即位した。曹魏の皇位は、曹丕、曹叡、曹芳、曹髦、曹奐へと順に継承された。

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