徵崇
字 子和

徵崇(ちょうすう)は呉の河南率更令で、『易』と『春秋左氏伝』に通じ、太子・孫登(そん とう)から諮問を受けた。
出典
原典に徵崇が登場する箇所
正史 · 巻 53『三国志』
秉為傅時,率更令河南徵崇亦篤學立行云。〈吳錄曰:崇字子和,治《易》《春秋左氏傳》,兼善內術。…
段落全文を読む
秉為傅時,率更令河南徵崇亦篤學立行云。〈吳錄曰:崇字子和,治《易》《春秋左氏傳》,兼善內術。本姓李,遭亂更姓,遂隱於會稽,躬耕以求其志。好尚者從學,所教不過數人輒止,欲令其業必有成也。所交結如丞相步騭等,咸親焉。嚴畯薦崇行足以厲俗,學足以為師。初見太子登,以疾賜不拜。東宮官僚皆從諮詢。太子數訪以異聞。年七十而卒。〉
ランキング
各ランキングでの順位。
徵崇(ちょうすう)、字は子和。呉の河南率更令。『演義』には登場しない。
事績
徵崇は『易』と『春秋左氏伝』を治め、内術にも通じていた。もとは李(り)姓だったが、乱を避けて姓を改め、会稽(かいけい)に隠居し、自ら耕作して志を遂げようとした。(史書の記載)
人に教えるのは数人までとし、それ以上は教えるのをやめた。授けた学問を成就させるためである。厳畯(げんしゅん)は、その品行は風俗を励ますに足り、学問は師となるに足ると称賛し、推挙した。(史書の記載)
太子の孫登(そん とう)に初めて会った際、病気のため拝礼を免除された。東宮の官僚たちは彼に相談し、孫登もたびたび珍しい話を尋ねた。(史書の記載)
徵崇は七十歳で亡くなった。(史書の記載)
関係

続けて読む
孫登
主君
孫登へ →