曹魏
石建

石建(シージエン)は曹魏(そうぎ)の将軍で、江中での撤退時に高遷と危うく脱出した。
出典
原典に石建が登場する箇所
正史 · 巻 14『三国志』
…賊兩頭並前,官兵一道引去,不時得洩,將軍石建、高遷僅得自免。…
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帝悟昭言,即詔尚等促出。賊兩頭並前,官兵一道引去,不時得洩,將軍石建、高遷僅得自免。軍出旬日,江水暴長。帝曰:「君論此事,何其審也!正使張、陳當之,何以復加。」五年,徙封成都鄉侯,拜太常。其年,徙光祿大夫、給事中。從大駕東征,七年還,拜太僕。明帝即位,進爵樂平侯,邑千戶,轉衛尉。分邑百戶,賜一子爵關內侯。
正史 · 巻 14『三国志』
武皇帝智勇過人,而用兵畏敵,不敢輕之若此也。夫兵好進惡退,常然之數。…
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武皇帝智勇過人,而用兵畏敵,不敢輕之若此也。夫兵好進惡退,常然之數。平地無險,猶尚艱難,就當深入,還道宜利,兵有進退,不可如意。今屯渚中,至深也;浮橋而濟,至危也;一道而行,至狹也:三者兵家所忌,而今行之。賊頻攻橋,誤有漏失,渚中精銳,非魏之有,將轉化為吳矣。臣私慼之,忘寢與食,而議者怡然不以為憂,豈不惑哉!加江水向長,一旦暴增,何以防禦?就不破賊,尚當自完。奈何乘危,不以為懼?事將危矣,惟陛下察之!
石建は曹魏(そうぎ)の将軍で、『三国志(さんごくし)』の関連記録に見える人物であり、『三国演義』には登場しない。
事績
曹軍が渚中から撤退した際、石建と高遷は危うく脱出できないところだった(史書の記載)。
関係
- 高遷とともに、曹軍の撤退時に脱出した。
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曹魏
所属勢力
曹魏(そうぎ)は、三国(さんごく)時代に「魏」を国号とした政権である。後漢末期、曹操(そうそう)は次第に朝廷の大権を掌握し、魏公、魏王に相次いで封じられ、曹氏政権樹立の基礎を築いた。建安二十五年(220年)、曹丕(そうひ)は魏王位を継ぎ、漢献帝(かんけんてい)から禅譲を受けて皇帝に即位し、黄初と改元して国号を大魏と定めた。漢献帝は山陽公に封じられた。曹丕の後は曹叡(そうえい)が即位した。曹叡には子がなく、曹芳(そうほう)を養子として立てた。曹芳の即位に際しては、大将軍の曹爽(そうそう)と太尉の司馬懿(しばい)が政務を補佐した。その後、曹芳の廃位(そうほうのはいい)が行われ、曹髦(そうぼう)が迎えられて帝位に就いた。曹髦の死後、曹奐(そうかん)が即位した。曹魏の皇位は、曹丕、曹叡、曹芳、曹髦、曹奐へと順に継承された。