曹魏
王才

王才(おうさい)は曹魏(そうぎ)の騎都尉で、孟思と不法行為を働き、都を震撼させたと史書にある。
出典
原典に王才が登場する箇所
正史 · 巻 16『三国志』
骑都尉王才、幸乐人孟思所为不法,振动京都,而其罪状发於小吏,公卿大臣初无一言。…
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骑都尉王才、幸乐人孟思所为不法,振动京都,而其罪状发於小吏,公卿大臣初无一言。自陛下践阼以来,司隶校尉、御史中丞宁有举纲维以督奸宄,使朝廷肃然者邪?若陛下以为今世无良才,朝廷乏贤佐,岂可追望稷、契之遐踪,坐待来世之俊乂乎!今之所谓贤者,尽有大官而享厚禄矣,然而奉上之节未立,向公之心不一者,委任之责不专,而俗多忌讳故也。臣以为忠臣不必亲,亲臣不必忠。何者?以其居无嫌之地而事得自尽也。今有疏者毁人不实其所毁,而必曰私报所憎,誉人不实其所誉,而必曰私爱所亲,左右或因之以进憎爱之说。非独毁誉有之,政事损益,亦皆有嫌。陛下当思所以阐广朝臣之心,笃厉有道之节,使之自同古人,望与竹帛耳。反使如廉昭者扰乱其间,臣惧大臣遂将容身保位,坐观得失,为来世戒也!
正史 · 巻 16『三国志』
乐安廉昭以才能拔擢,颇好言事。恕上疏极谏曰:
王才は曹魏(そうぎ)の騎都尉であり、『三国志(さんごくし)』巻十六に記載されている。演義にはこの人物は登場しない。
事績
王才と幸楽人の孟思が不法行為を働き、都を震撼させた。二人の罪状は下級役人によって告発されたが、公卿大臣のうち、当初これについて発言する者はいなかった。(史書による)
関係
- 幸楽人の孟思とともに、不法行為を働いたとして告発された
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曹魏
所属勢力
曹魏(そうぎ)は、三国(さんごく)時代に「魏」を国号とした政権である。後漢末期、曹操(そうそう)は次第に朝廷の大権を掌握し、魏公、魏王に相次いで封じられ、曹氏政権樹立の基礎を築いた。建安二十五年(220年)、曹丕(そうひ)は魏王位を継ぎ、漢献帝(かんけんてい)から禅譲を受けて皇帝に即位し、黄初と改元して国号を大魏と定めた。漢献帝は山陽公に封じられた。曹丕の後は曹叡(そうえい)が即位した。曹叡には子がなく、曹芳(そうほう)を養子として立てた。曹芳の即位に際しては、大将軍の曹爽(そうそう)と太尉の司馬懿(しばい)が政務を補佐した。その後、曹芳の廃位(そうほうのはいい)が行われ、曹髦(そうぼう)が迎えられて帝位に就いた。曹髦の死後、曹奐(そうかん)が即位した。曹魏の皇位は、曹丕、曹叡、曹芳、曹髦、曹奐へと順に継承された。