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曹魏

淳于俊

淳于俊の肖像
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淳于俊(チュンユ・ジュン)は魏の易博士で、甘露元年に太学で高貴郷公の『易』に関する問いに答え、名を知られた。

正史 『三国志』巻4 · 『演義』に登場せず

出典

原典に淳于俊が登場する箇所

  • 正史 · 巻 4『三国志』

    …易博士淳于俊對曰:「包羲因燧皇之圖而制八卦,神農演之為六十四,黃帝、堯、舜通其變,三代隨時,質文各繇其事。…
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    丙辰,帝幸太學,問諸儒曰:「聖人幽贊神明,仰觀俯察,始作八卦,後聖重之為六十四,立爻以極數,凡斯大義,罔有不備,而夏有連山,殷有歸藏,周曰周易,易之書,其故何也?」易博士淳于俊對曰:「包羲因燧皇之圖而制八卦,神農演之為六十四,黃帝、堯、舜通其變,三代隨時,質文各繇其事。故易者,變易也,名曰連山,似山出內雲氣,連天地也;歸藏者,萬事莫不歸藏於其中也。」帝又曰:「若使包羲因燧皇而作易,孔子何以不云燧人氏沒包羲氏作乎?」俊不能荅。帝又問曰:「孔子作彖、象,鄭玄作注,雖聖賢不同,其所釋經義一也。今彖、象不與經文相連,而注連之,何也?」俊對曰;「鄭玄合彖、象於經者,欲使學者尋省易了也。」帝曰:「若鄭玄合之,於學誠便,則孔子曷為不合以了學者乎?」俊對曰:「孔子恐其與文王相亂,是以不合,此聖人以不合為謙。」帝曰:「若聖人以不合為謙,則鄭玄何獨不謙邪?」俊對曰:「古義弘深,聖問奧遠,非臣所能詳盡。」帝又問曰:「繫辭云『黃帝、堯、舜垂衣裳而天下治』,此包羲、神農之世為無衣裳。但聖人化天下,何殊異爾邪?」俊對曰:「三皇之時,人寡而禽獸衆,故取其羽皮而天下用足,及至黃帝,人衆而禽獸寡,是以作為衣裳以濟時變也。」帝又問:「乾為天,而復為金,為玉,為老馬,與細物並邪?」俊對曰:「聖人取象,或遠或近,近取諸物,遠則天地。」

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淳于俊(Chunyu Jun)は魏の易博士で、甘露元年に高貴郷公が太学に行幸した際の出来事に記されている。『演義』には登場しない。

事績

  • 甘露元年、高貴郷公が太学に行幸した際、淳于俊は易博士として、皇帝からの『易』に関する質問に答え、連山・帰蔵という名の由来、『易』の経と伝を合わせて読むこと、衣裳の起源や取象などについて説明した。包羲が燧皇に因んで『易』を作ったという説が孔子の記録と合致しないと問われると答えられず、後に学んだことが限られているとして答えた。(史載)

関係

  • 高貴郷公と太学で『易』について問答した。

台詞

  • 史 ch.4 §43→ 曹髦

    「包羲因燧皇之圖而制八卦,神農演之為六十四,黃帝、堯、舜通其變,三代隨時,質文各繇其事。故易者,變易也,名曰連山,似山出內雲氣,連天地也;歸藏者,萬事莫不歸藏於其中也。」

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所属勢力

曹魏(そうぎ)は、三国(さんごく)時代に「魏」を国号とした政権である。後漢末期、曹操(そうそう)は次第に朝廷の大権を掌握し、魏公、魏王に相次いで封じられ、曹氏政権樹立の基礎を築いた。建安二十五年(220年)、曹丕(そうひ)は魏王位を継ぎ、漢献帝(かんけんてい)から禅譲を受けて皇帝に即位し、黄初と改元して国号を大魏と定めた。漢献帝は山陽公に封じられた。曹丕の後は曹叡(そうえい)が即位した。曹叡には子がなく、曹芳(そうほう)を養子として立てた。曹芳の即位に際しては、大将軍の曹爽(そうそう)と太尉の司馬懿(しばい)が政務を補佐した。その後、曹芳の廃位(そうほうのはいい)が行われ、曹髦(そうぼう)が迎えられて帝位に就いた。曹髦の死後、曹奐(そうかん)が即位した。曹魏の皇位は、曹丕、曹叡、曹芳、曹髦、曹奐へと順に継承された。

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