曹魏
宋金

宋金(ソウキン)は曹魏(そうぎ)の鼓吹兵で、合肥(がっぴ/ごうひ)から逃亡したが、高柔(こうじゅう)の進言後、母と弟は死罪を免れた。
出典
原典に宋金が登場する箇所
正史 · 巻 24『三国志』
…鼓吹宋金等在合肥亡逃。舊法,軍征士亡,考竟其妻子。太祖患猶不息,更重其刑。…
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魏國初建,為尚書郎。轉拜丞相理曹掾,令曰:「夫治定之化,以禮為首。撥亂之政,以刑為先。是以舜流四凶族,臯陶作士。漢祖除秦苛法,蕭何定律。掾清識平當,明于憲典,勉恤之哉!」鼓吹宋金等在合肥亡逃。舊法,軍征士亡,考竟其妻子。太祖患猶不息,更重其刑。金有母妻及二弟皆給官,主者奏盡殺之。柔啟曰:「士卒亡軍,誠在可疾,然竊聞其中時有悔者。愚謂乃宜貸其妻子,一可使賊中不信,二可使誘其還心。正如前科,固已絕其意望,而猥復重之,柔恐自今在軍之士,見一人亡逃,誅將及己,亦且相隨而走,不可復得殺也。此重刑非所以止亡,乃所以益走耳。」太祖曰:「善。」即止不殺金母、弟,蒙活者甚衆。
宋金は曹魏(そうぎ)の鼓吹兵で、合肥(がっぴ/ごうひ)から逃亡した。『三国志演義』にはこの人物は登場しない。
事績
- 宋金ら鼓吹兵が合肥から逃亡し、旧法に従えば妻子は処刑されるところだった。高柔(こうじゅう)が諫言した後、太祖(たいそ)は宋金の母と弟を殺さないよう命じた。(史書の記載)
関係
- 母、妻、二人の弟はいずれも官に仕えた。高柔は、宋金の母と弟の死罪を免じるよう諫言した。
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曹魏
所属勢力
曹魏(そうぎ)は、三国(さんごく)時代に「魏」を国号とした政権である。後漢末期、曹操(そうそう)は次第に朝廷の大権を掌握し、魏公、魏王に相次いで封じられ、曹氏政権樹立の基礎を築いた。建安二十五年(220年)、曹丕(そうひ)は魏王位を継ぎ、漢献帝(かんけんてい)から禅譲を受けて皇帝に即位し、黄初と改元して国号を大魏と定めた。漢献帝は山陽公に封じられた。曹丕の後は曹叡(そうえい)が即位した。曹叡には子がなく、曹芳(そうほう)を養子として立てた。曹芳の即位に際しては、大将軍の曹爽(そうそう)と太尉の司馬懿(しばい)が政務を補佐した。その後、曹芳の廃位(そうほうのはいい)が行われ、曹髦(そうぼう)が迎えられて帝位に就いた。曹髦の死後、曹奐(そうかん)が即位した。曹魏の皇位は、曹丕、曹叡、曹芳、曹髦、曹奐へと順に継承された。