曹魏
劉夏

劉夏(りゅうか)は魏の帯方太守で、役人を遣わして倭使の難升米らを京都へ護送したことで知られる。
出典
原典に劉夏が登場する箇所
正史 · 巻 30『三国志』
求詣天子朝獻,太守劉夏遣吏將送詣京都。
正史 · 巻 30『三国志』
帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米、次使都市牛利,
正史 · 巻 30『三国志』
景初二年六月,倭女王遣大夫難升米等詣郡,
劉夏は三国(さんごく)時代の魏の帯方太守で、『三国志(さんごくし)』巻三十に記載がある。演義には登場しない。
事績
景初二年、倭の女王は大夫の難升米らを郡に遣わし、天子のもとへ赴いて朝献することを願い出た。劉夏は役人を遣わして、彼らを京都まで送り届けた(史書の記載)。
関係
- 帯方太守を務め、役人を遣わして難升米らを京都まで護送した。
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曹魏
所属勢力
曹魏(そうぎ)は、三国(さんごく)時代に「魏」を国号とした政権である。後漢末期、曹操(そうそう)は次第に朝廷の大権を掌握し、魏公、魏王に相次いで封じられ、曹氏政権樹立の基礎を築いた。建安二十五年(220年)、曹丕(そうひ)は魏王位を継ぎ、漢献帝(かんけんてい)から禅譲を受けて皇帝に即位し、黄初と改元して国号を大魏と定めた。漢献帝は山陽公に封じられた。曹丕の後は曹叡(そうえい)が即位した。曹叡には子がなく、曹芳(そうほう)を養子として立てた。曹芳の即位に際しては、大将軍の曹爽(そうそう)と太尉の司馬懿(しばい)が政務を補佐した。その後、曹芳の廃位(そうほうのはいい)が行われ、曹髦(そうぼう)が迎えられて帝位に就いた。曹髦の死後、曹奐(そうかん)が即位した。曹魏の皇位は、曹丕、曹叡、曹芳、曹髦、曹奐へと順に継承された。
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