陳寔
字 仲弓 · 104–186

陳寔(ちんしょく)は後漢の潁川(えいせん)の名士・太丘長で、党錮の後に荊山に隠棲し、当世に名を知られた。
生涯
正史 3 巻
ランキング
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陳寔(字は仲弓)は後漢の潁川(えいせん)の名士で、かつて太丘長を務めた。『演義』には登場しない。
事績
- 陳寔は太丘長を務めた。党錮の禁に遭った後、荊山に隠居し、遠近の人々から師として尊崇された。(史書の記載)
- 霊帝の死後、何進(かしん)は陳寔を招き、参軍に任じようとした。陳寔は老齢で病がちであることを理由に、節を曲げて仕官することはなかった。(史書の記載)
- 陳寔が亡くなると、荀爽(じゅん そう)と韓融は彼のために缌麻服を着て、子孫としての礼をもって接した。各地から弔問に訪れる者も多く、別の資料には、葬儀に参列した者は三万人に達したとある。(史書の記載)
- 鄧艾(とうがい)は十二歳のとき、陳寔の碑文を読み、そこに「文は世の範となり、行いは士の則となる」とあったことから、名を范、字を士則とした。後に一族に同名の者がいたため、字を改めた。(史書の記載)
関係
台詞
- 史 ch.22 §9
「此兒必兴吾宗。」
- 史 ch.28 §39→ 鄧艾
「文為世範,行為士則」

続けて読む
陳羣
親族
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