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曹魏

李簡

李簡の肖像
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李簡(りかん)は魏の狄道の長で、密書で姜維(きょうい)に降伏を願い出て、城中の官民を率いて出迎えたことで知られる。

正史 『三国志』2巻に登場 · 『演義』に登場せず

出典

原典に李簡が登場する箇所

  • 正史 · 巻 43『三国志』

    …魏狄道長李簡密書請降,衛將軍姜維率嶷等因簡之資以出隴西。〈《益部耆舊傳》曰:嶷風濕固疾,至都浸篤,扶杖然後能起。…
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    在郡十五年,邦域安穆。屢乞求還,乃徵詣成都。夷民戀慕,扶轂泣涕,過旄牛邑,邑君襁負來迎,及追尋至蜀郡界,其督相率隨嶷朝貢者百餘人。嶷至,拜蕩寇將軍,慷慨壯烈,士人咸多貴之。然放蕩少禮,人亦以此譏焉,〈《益部耆舊傳》曰:時車騎將軍夏侯霸謂嶷曰:「雖與足下疏闊,然託心如舊,宜明此意。」嶷答曰:「僕未知子,子未知我,大道在彼,何云託心乎!原三年之後徐陳斯言。」有識之士以為美談。〉是歲延熙十七年也。魏狄道長李簡密書請降,衛將軍姜維率嶷等因簡之資以出隴西。〈《益部耆舊傳》曰:嶷風濕固疾,至都浸篤,扶杖然後能起。李簡請降,眾議狐疑,而嶷曰必然。姜維之出,時論以嶷初還,股疾不能在行中,由是嶷自乞肆力中原,致身敵庭。臨發,辭後主曰:「臣當值聖明,受恩過量,加以疾病在身,常恐一朝隕沒,辜負榮遇。天不違原,得豫戎事。若涼州克定,臣為籓表守將;若有未捷,殺身以報。」後主慨然為之流涕。〉既到狄道,簡悉率城中吏民出迎軍。軍前與魏將徐質交鋒,嶷臨陣隕身,然其所殺傷亦過倍。既亡,封長子瑛西鄉侯,次子護雄襲爵。南土越崔巂民夷聞嶷死,無不悲泣,為嶷立廟,四時水旱輒祀之。〈《益部耆舊傳》曰:余觀張嶷儀貌辭令,不能駭人,而其策略足以入算,果烈足以立威,為臣有忠誠之節,處類有亮直之風,而動必顧典,後主深崇之。雖古之英士,何以遠逾哉!《蜀世譜》曰:嶷孫奕,晉梁州刺史。〉

  • 正史 · 巻 44『三国志』

    …復出隴西,守狄道長李簡舉城降。進圍襄武,與魏將徐質交鋒,斬首破敵,魏軍敗退。…
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    十六年春,禕卒。夏,維率數萬人出石營,經董亭,圍南安。魏雍州刺史陳泰解圍至洛門,維糧盡退還。明年,加督中外軍事。復出隴西,守狄道長李簡舉城降。進圍襄武,與魏將徐質交鋒,斬首破敵,魏軍敗退。維乘勝多所降下,拔河間狄道、臨洮三縣民還。後十八年,復與車騎將軍夏侯霸等俱出狄道,大破魏雍州刺史王經於洮西,經眾死者數萬人。經退保狄道城,維圍之。魏徵西將軍陳泰進兵解圍,維卻住鐘題。

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ほか 3 件

李簡(リー・ジエン)は魏の狄道長で、延熙十七年に姜維(きょうい)が隴西に出兵した一件に登場する。演義ではこの人物について記されていない。

事績

魏の狄道長である李簡は、ひそかに書状を送り、蜀漢(しょくかん)に降伏を申し入れた。姜維は軍を率いて隴西に出兵し、狄道に到着すると、李簡は城内の官吏と民衆を率いて出迎えた。(史書に記載)

関係

  • 姜維および蜀漢に降伏を申し入れた
  • 狄道の城内の官吏と民衆を率いて姜維軍を出迎えた

人間関係

1 件の関係

李簡 の人物関係図姜維李簡
  • 君臣
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姜維

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姜維

主君

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正史 · 巻 44

  • 姜維§26

    主君

    举狄道城降姜维