言語
鮑

鮑忠

字 叔義

登場回
1
台詞の記録
0
人間関係
1
内面の独白
1

史載(Historical Record)

鮑忠(字は叔義)に関する史料の記載は、『三国志(さんごくし)』などの正史には明確な言及がない。そのため、その生涯の事績、家族の背景、ならびに歴史上の具体的な活動は、いずれも考証のしようがない。これは、鮑忠という人物が歴史の真実の記録においては存在しなかった可能性があるか、あるいはその影響力がきわめて小さく、史官の注目と記録を受けなかったことを示している。

演中(In the Novel)

羅貫中の歴史小説『三国演義』において、鮑忠(字は叔義)は濟北の相・鮑信(ほうしん)の弟として登場し、その姿と運命には濃厚な文学的色彩が与えられている。鮑忠が初めて現れるのは小説の第五回 で、ちょうど十八路の諸侯が会盟して董卓(とう たく)を討伐しようとする折であった。当時、盟主の袁紹(えんしょう)は孫堅(そん けん)を先鋒に任じ、汜水關まで攻め寄せて挑戦することを定めた。しかし濟北の相・鮑信は、孫堅が一番手柄を奪うことを心配し、ひそかに弟の鮑忠を遣わして三千の馬歩軍を率いさせ、間道を通って先んじて汜水關の下に至り戦いを挑ませた。

鮑忠のこの挙は、明らかに手柄を争うためであったが、その軍事的才能と戦略眼は孫堅にはるかに及ばなかった。彼は軽率に挑戦し、その結果、董卓配下の勇猛果敢な華雄(かゆう)に遭遇した。華雄は五百の鉄騎を率いて関を駆け下り、大喝一声「賊将、逃げるな!」と叫んだ。鮑忠は不意を突かれ、急いで退こうとしたが、華雄の刀が振り下ろされ、たちまち馬下に斬り落とされた。華雄は鮑忠を斬っただけでなく、鮑忠の多くの将校を生け捕りにし、人を遣わして鮑忠の首級を相府へ送り勝利を報告したため、董卓は華雄を都督に加封した。

鮑忠の『三国演義』における登場とたちまちの敗死は、作者が華雄の勇猛さを際立たせ、後に続く関羽(かんう)の温酒斬華雄の場面への布石とするためのものである。彼の姿は功を焦り目先の利を追う、勇はあっても謀のない将であり、その悲劇的な結末は、乱世にあって匹夫の勇のみで智謀がなければ、往々にして立ち行かないことを戒めている。鮑忠の死はまた、間接的に諸侯連合軍が董卓軍の実力を再評価する契機ともなり、後続の戦役の行方への伏線を埋めた。史書に明確な記載がないため、鮑忠という人物は完全に『三国演義』の文学的創造であり、その存在は主に筋立てを推し進め、他の人物像を造形するためのものである。

重要な関係

* 鮑信(sibling_of):鮑忠は『三国演義』において濟北の相・鮑信の弟である。鮑信は孫堅に一番手柄を奪われることを心配し、ひそかに鮑忠に軍を率いて先んじて挑戦させたが、この行為が直接鮑忠の惨敗と戦死を招いた。鮑信のこの決断は、諸侯の間に共通の目標がありながらも私心を秘めるという複雑な関係を体現しており、間接的に鮑忠の悲劇的な運命をも形作った(演義独自)。

象徴的な場面

* 汜水關の下で華雄に斬られる:鮑忠の最も象徴的な場面は、汜水關の下で功を焦って軽率に挑戦し、その結果、董卓配下の大将・華雄の刀によって馬下に斬り落とされたことである。この場面は華雄の勇猛さを示すとともに、鮑忠の軽率さと無謀さをも際立たせ、『三国演義』における十八路諸侯の董卓討伐初期の重要な挿話となり、後に続く関羽の温酒斬華雄という名場面への伏線を埋めた(演義独自)。

人間関係

1 件の関係

登場回1 回 ▸
  • 演ch.5
関係の年表1 条 ▸

演 ch.5

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 我は鮑忠、字は叔義、濟北の相・鮑信(ほうしん)の弟である。諸侯が盟約を結び、血をすすり終えると、袁紹(えんしょう)が推されて盟主となり、功ある者は必ず賞し、罪ある者は必ず罰すると誓った。各陣営は皆、命令に従うと応じた。そのとき帳中で、汜水關
生涯の大事1 ▸