史載(Historical Record)
萬政なる人物は、現存する史伝の材料の中には明確な記載がない。『三国志(さんごくし)』およびその注引の各種史料も、その他の正史文献も、いずれも「萬政」という名の人物に言及しておらず、その生涯の事跡に関する記録もない。したがって、萬政に関する史実の情報は、現在のところ考証のしようがない。
演中(In the Novel)
羅貫中『三国(さんごく)演義』の文学的造形において、萬政は曹魏(そうぎ)の将領として登場し、都督・郭淮(かくわい)の部将である c:32。彼が最初に現れるのは第九十五回で、諸葛亮(しょかつりょう)の第一次北伐(だいいちじほくばつ)の期間中、曹真(そうしん)と郭淮が軍を率いて蜀漢(しょくかん)の進攻を防いだ。当時、趙雲(ちょううん)は命を受けて殿軍を務め、蜀軍の撤退を掩護していた。郭淮は先鋒の蘇顒を遣わして趙雲を追撃させたが、蘇顒は趙雲に一槍で刺殺された。続いて、萬政は郭淮の命を受け、軍を率いて追撃を続けた c:32。
萬政は追撃の過程で、趙雲と二度交戦した。一度目は、彼が軍を率いて蜀軍に追いついたとき、趙雲を見知り、趙雲の威名を恐れて軽々しく前へ進む勇気がなかった。彼は天色が黄昏になるのを待つことを選び、趙雲がゆるゆると退いた後にようやく行動する勇気が出た c:32。萬政は郭淮に報告する際にも、趙雲の英勇は昔のままであり、それゆえ近づく勇気がなかったと率直に述べた。郭淮はこれを聞いても、なお萬政に数百騎の壮士を率いて急ぎ追うよう命じた。二度目の交戦は一面の大林の中で起こり、趙雲が突然姿を現し、一声大喝すると、魏兵は百余人が馬から落ち、その他は潰え散った。萬政は無理に前へ進んで迎え撃ったが、趙雲に一矢で兜の纓を射られ、驚いて谷川の中に落ちた。趙雲はその命を取らず、かえって槍を彼に指し向け、一命を助けてやり、帰って郭淮に追撃を続けるよう告げさせた c:32。萬政はこうして命からがら帰った。演義において、萬政の形象は武芸が並で、臆病で戦を恐れながらも、命を受けて行動せざるをえない将領として造形され、彼の視点を通じて、趙雲の勇猛無敵がさらに引き立てられている。
主要な関係
* 趙雲:萬政と趙雲とのあいだは敵対関係であり、しかも萬政は趙雲の前で明らかな畏怖を示している。彼は二度、命を受けて趙雲を追撃したが、いずれも趙雲に実質的な脅威を与えることができず、かえって交戦の中で趙雲に震撼させられ、あるいは撃ち破られた c:32。この関係は主に趙雲の英勇を引き立てるために用いられている。
* 郭淮:萬政は郭淮の部将であり、郭淮の命に従って蜀軍を追撃した。郭淮はその上官であり、萬政はその命令に逆らう勇気がなく、趙雲の強大な威嚇を前にしても、無理を押して前へ進むほかなかった c:32(演義独自)。
象徴的な場面
* 箕谷道中で趙雲に一矢で兜の纓を射られる:これは萬政の『三国演義』における最も代表的な場面である。箕谷の道中で、萬政は郭淮の命を受けて殿軍の趙雲を追撃した。彼が無理に前へ進んで趙雲と交戦したとき、趙雲は一矢で彼の兜の纓を射抜き、驚いて谷川の中に落とした。趙雲は彼を殺さず、かえって命を助けてやり、帰って郭淮に追撃を続けるよう告げさせた c:32。この場面は趙雲の高超な弓術と仁義を示すだけでなく、萬政の狼狽と臆病をも際立たせ、彼が演義の中で読者に記憶される重要な筋立てとなっている(演義独自)。
人間関係
1 件の関係
その他1
登場回1 回 ▸
- 演ch.95
関係の年表1 条 ▸
演 ch.95
- 趙雲(ちょううん)§20
fights_in
追击不前,被赵云射中盔缨,惊跌涧中
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
- 郭淮(かくわい)の命を受け、兵を率いて箕谷まで追撃した。先に蘇顒(そぎょう)が兵を率いて谷へ入っていたが、たちまち趙雲(ちょううん)の槍に敗れて討たれ、残兵は散り散りになった。この報せを聞き、次に来る将が誰なのか、私にはすぐ分かった。趙子龍