言語
閻

曹魏(そうぎ) · 涼州别驾、上邽令

閻溫

登場回
2
台詞の記録
2
人間関係
3
内面の独白
1

史載(Historical Record)

閻溫、字は伯倹、本籍は天水西城。曹魏(そうぎ)政権において涼州(りょうしゅう)別駕を務め、あわせて上邽県令を兼ねていた。建安十六年(211年)、馬超(ばちょう)は渭南の戦い(いなんのたたかい)で曹操(そうそう)に敗れた後、隴右へ逃れ、羌・胡などの少数民族の支持を得て、勢力は一時きわめて盛んであった。馬超が部を率いて上邽を奇襲した時、当地の郡人の任養らは城を開いて迎降しようとした。閻温は断固これを阻止したが、果たせず、やむを得ず急ぎ涼州の治所である冀城(きじょう)へ戻った。

馬超は続いて冀城に対して猛烈な包囲を展開し、戦況はきわめて危急であった。涼州刺史・太守などの官員は、長期の包囲のもとで、次第に降る意を萌した。この危急の時に当たって、州府は閻温をひそかに城を出させ、遠く東方にいる夏侯淵(かこう えん)に救援を求めることを決めた。閻温は夜の闇に紛れ、幾重にも囲まれた城の中から水中に潜り、首尾よく逃げ出した。

しかし、翌朝、馬超の部下は閻温が潜行して逃げた痕跡を発見し、ただちに人を遣わして追捕した。閻温は顕親県の界で追いつかれて捕らえられ、馬超の前へ押送された。馬超は自ら閻温の縄を解き、降伏を勧めようとした。彼は、冀城はすでに孤立無援であり、閻温は救援を求めて捕らえられたのだから、その忠義はもはや施しようがないと指摘した。馬超は閻温を、もし自分の意に従って城中へ戻り東方に援軍なしと偽って報告すれば、禍を福に転じることができ、さもなくば身を殺す禍に直面すると誘導した。

閻温は表向き馬超の条件を承諾した。馬超はそこで人に命じて閻温を冀城の城下まで載せていかせた。しかし閻温は、城中の軍民に向かって、馬超の指示どおりに行動するどころか、かえって高々と「大軍は三日を出ずして至る、励め!」と大喝した。この一言が発せられるや、城中の軍民は感動して涙を流さぬ者なく、声を揃えて万歳を呼ばわり、士気は大いに振るった。馬超はこれを見て勃然と大いに怒り、閻温になぜ命を顧みぬのかと詰問した。閻温はこれに応えなかった。

冀城が久しく攻め落とせなかったため、馬超はなおも閻温への降伏の勧誘を諦めなかった。彼は再び閻温を誘い、城中に帰順を願う旧知の者がいるかと尋ねた。閻温は依然として語らなかった。馬超はそこで閻温を厳しく叱責し、閻温は正色して「そもそも君に事えるには死あるのみ二心なし、しかるに卿はかえって長者をして不義の言を出さしめんとする、我あに苟くも生きんとする者ならんや」と応えた。彼は、臣下たる者は君主のために忠を尽くして死すべきで、断じて二心はなく、どうして苟くも生きながらえて不義の言を口にできようか、と明言した。馬超は閻温が終始屈服しようとしないのを見て、ついにこれを殺害した。閻温の死は、冀城中の刺史・太守らを徹底的に絶望させ、ついに城を開いて投降させた。

演中(In the Novel)

『三国志演義』においては、閻温について独立した紙幅を割いた詳細な描写はなく、その事績は基本的に史実と一致を保ち、顕著な逸脱や新たな筋立ては見られない。したがって、演義における閻温の像は、なお忠義不屈の、国のために命を捧げた涼州別駕である。演義は、その性格・背景や他者との交流について追加の文学的加工を施しておらず、彼により多くの台詞や内心の独白を与えてもいない。彼の演義における存在は、主に馬超が冀城を包囲したこの歴史的出来事における悲壮な脚注であり、馬超の残暴さおよび後漢末の士人の忠貞不渝の気節を彰すために用いられている。

関係(Key Relationships)

* 曹魏(忠誠):閻温は涼州別駕として、曹魏政権の涼州における代表であり、曹魏に忠心耿耿で、ついに曹魏のために命を捧げた。
* 馬超(敵対):馬超は閻温の直接の敵であり、閻温は馬超の進攻に抵抗して死んだ。馬超は閻温の降伏を勧めようとしたが果たせず、ついにこれを殺害した。
* 夏侯淵(救援を求めた相手):閻温が命を賭して城を出たのは、まさに夏侯淵に救援を求め、冀城の包囲を解くためであった。たどり着くことは果たせなかったものの、その救援を求める挙は、夏侯淵が代表する曹魏の援軍への信任と期待を体現している。

象徴的場面(Iconic Scenes)

* 水に潜って城を出て救援を求める:閻温は冀城が馬超に幾重にも包囲された絶境のもと、夜間に水中から潜り出て、敵軍の封鎖を突破して夏侯淵に救援を求めようとした。この場面は、彼の人並み外れた胆識と使命への決然たる姿を示している。
* 城下で「大軍は三日を出ずして至る」と大喝する:馬超に捕らえられた後、閻温は城下に押送され、馬超は彼に援軍なしと偽って報告するよう誘った。しかし閻温は、毅然として城中に向かい「大軍は三日を出ずして至る、励め!」と大喝し、城中の守軍の士気を大いに鼓舞した。この挙は彼の忠義の心を徹底的に露わにするとともに、直接彼の殉難をもたらした。この場面は閻温の忠義の気節の最高の体現であり、彼の生涯において最も劇的かつ象徴的な瞬間でもある。

人間関係

3 件の関係

台詞

  • 史 ch.18 §68

    「大軍不過三日至,勉之!」

  • 史 ch.18 §68→ 馬超(ばちょう)

    「夫事君有死無貳,而卿乃欲令長者出不義之言,吾豈苟生者乎?」

登場回2 回 ▸
  • 史ch.18ch.25
関係の年表4 条 ▸

史 ch.18

史 ch.25

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 我(が)、字は伯儉(はくけん)。天水郡西城の人である。涼州別駕として上邽県令を務め、本来なら職務に励み、民を安んじるべき立場にあった。ところが馬超(ばちょう)が渭南で敗走すると、諸戎の渠帥を率いて陇上を攻め取り、郡の人々である任養(じんよう
生涯の大事1 ▸