言語
越

越吉

登場回
1
台詞の記録
1
人間関係
1
内面の独白
1

史載(Historical Record)

越吉という人物については、現存する『三国志(さんごくし)』などの正史の記載において、何ら明確な記録が見当たらない。したがって、史伝の材料からその生涯、事績、あるいは歴史上の実在を考証することはできない。越吉という人物のすべての姿と物語は、いずれも文学的創作に由来するものである。

演中(In the Novel)

羅貫中の筆になる歴史小説『三国(さんごく)演義』において、越吉は西羌の一勇将として登場し、その姿は勇猛だが智謀に欠ける羌族の元帥として造形されている。彼は第九十四回に初めて登場する。当時、蜀漢(しょくかん)の丞相である諸葛亮(しょかつりょう)が軍を率いて南征し、西羌軍との交戦の中で、越吉元帥は鉄車を率いて密かに包囲し、蜀将の関興(かんこう)を垓心に追い詰めた。鉄車の陣の幾重もの包囲を前に、関興は左に突き右に衝いたが脱け出すことが難しく、ただ山谷の中に活路を求めるほかなかった。関興が今にも逃れようとしたまさにその時、越吉が一群の黒旗を率いて蜂のように押し寄せ、鉄槌を手にして「小将よ、逃げるな!我こそは越吉元帥なり!」と大声で叫んだ。

関興は越吉の追撃のもと、力を尽くして馬を駆り鞭を加えたが、前方の道に断崖の谷があったために、やむなく馬を返して越吉と戦った。しかし、関興はこの時すでに胆を冷やしており、越吉の猛攻に抗しがたく、最終的に谷の中へ逃げることを選んだ。越吉は追撃の手を緩めず、鉄槌を一撃打ち下ろすと、関興は急いで身をかわしたが、鉄槌はちょうど馬の腰に命中し、軍馬は倒れ、関興は水中に落ちた。この危急の折、異象が突如として生じ、越吉は人馬もろともに、何の理由もなく水中に倒れ込んだ。

関興がもがきながら水中から起き上がると、岸の上で一人の大将が羌兵を追い斬っているのが目に入った。彼は刀を提げて越吉を斬ろうとしたが、越吉はすでに水を跳び越えて逃げていた。関興はその機に乗じて越吉の軍馬を奪い、鞍と轡を整えて馬に乗り、その命の恩人を追った。近くまで追いつくと、雲霧の中に、顔は熟した棗のごとく、眉は臥した蚕のごとく、緑の袍に金の鎧をまとい、青龍刀を提げ、赤兎馬に騎り、手に美髯を撫でる一人の大将がほのかに現れた。それは紛れもなくその父である関公であった。関公は関興に東南の方角へ撤退するよう指し示し、「われ汝を護りて寨に帰らしめん」と告げると、ほどなく姿を消した。関興は言われた通りに急いで進み、夜半の頃、探しに来ていた張苞(ちょうほう)と出会った。張苞もまた、鉄車軍に追撃された際、突如として関公が空から降ってきて、羌兵を驚かせて退かせ、自分を救援に導いた経緯を語った。二人はこの奇怪な遭遇に驚き、ともに営寨へ戻った。馬岱(ばたい)は、この事を丞相に報告して敵を破る策を求めるよう勧めた。そこで関興と張苞は夜を徹して孔明のもとへ赴き、関公が霊験を顕した事を詳しく語った。

小説において、越吉の結末は明確に語られておらず、彼は水を跳び越えて逃げた後、二度と登場しない。その姿は主に、関興が危難の時に関公が霊験を顕すことを引き立てる背景の人物として機能し、小説における関羽(かんう)の「武聖」としての超凡な地位と、その子孫への庇護を際立たせている。

重要な関係

* 西羌:越吉は西羌軍の元帥であり、西羌の勢力に仕え、その軍事力の重要な一翼を担っていた(演義独自)。
* 関興:越吉と関興は戦場で直接交戦し、その主たる敵手であった。越吉はかつて関興を絶体絶命に追い込んだが、最終的に関公が霊験を顕したために成功しなかった(演義独自)。

象徴的な場面

* 鉄車の陣中で関興を追撃:越吉元帥は羌兵を率い、鉄車の陣の中で窮地に陥った蜀将の関興に激しい追撃を加えた。彼は鉄槌を手にして「小将よ、逃げるな!我こそは越吉元帥なり!」と大いに叫び、その勇猛な一面を示した。この場面は越吉が小説において最も活躍し、最も重要な登場であり、関興の危急の状況を直接引き起こした。
* 関興との谷辺での交戦と関公の霊験:関興を谷辺まで追撃した際、越吉は鉄槌で関興の軍馬を打ち、これを水に落とした。しかし、越吉が今にも仕留めようとしたまさにその時、奇怪にも人馬もろともに水中へ転落し、後の関公が霊験を顕して子を救う伏線を張った。この場面は越吉の武力表現の頂点であるとともに、小説における関公が霊を顕すという超自然的な事件の直接の誘因であり、小説の伝奇的な色彩を大いに高めている(演義独自)。

人間関係

1 件の関係

台詞

  • 演 ch.94 §4

    「小將休走!吾乃越吉元帥也!」

登場回1 回 ▸
  • 演ch.94
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 我、越吉は羌族の地で将となり、命を受けて軍を率い、今日、鉄車の間で蜀軍と激戦を繰り広げた。戦場の中央では車陣が密集し、まるで城壁のように取り囲んでいた。蜀の将、関興(かんこう)は左右に突き進んだが、ついに逃れられなかった。彼が山や谷に道を求