言語
公

公孫越(こうそんえつ)

登場回
2
台詞の記録
0
人間関係
1
内面の独白
1

史載(Historical Record)

公孫越(こうそんえつ)は、その生涯の事跡が主に『三国志(さんごくし)』の記載に見える。彼は公孫瓚(こうそんさん)の従弟として、漢末の群雄が並び立つ時代背景の中、公孫瓚から重要な任務を遂行するよう遣わされた。当時、董卓(とう たく)が漢の献帝を脅して長安(ちょうあん)へ西遷させ、関東の義兵が興った。袁紹(えんしょう)、韓馥(かんふく)らは幽州(ゆうしゅう)牧の劉虞(りゅう ぐ)を帝に擁立し、董卓に対抗しようと目論んだ。劉虞は断固としてこれを受けなかったが、袁紹らはなお彼に尚書の事を領し、承制して封拝するよう勧めた。劉虞はやはり従わなかったが、それでも袁紹らとの連絡は保っていた c:204。

この時期、漢の献帝は東へ帰ることを切望し、侍中の劉和(りゅうか)(劉虞の子)を遣わし、董卓のもとを偽って逃れ、武関をひそかに出て幽州へ向かわせ、劉虞に兵を出して迎えに来させようと目論んだ。劉和は途中で袁術(えんじゅつ)のもとを通り、天子の意図を説明した。袁術は劉虞の援軍の力を見込んで、劉和を留めて放さず、兵力が集結した後に共に西進すると約束し、同時に劉和に劉虞へ書簡を書かせた。劉虞は劉和の書簡を受け取ると、数千の騎兵を遣わして劉和と合流させようとした c:204。

しかし、公孫瓚はこの時すでに袁術が異志を抱いていることを知っており、劉虞が兵力を遣わすことを望まず、劉虞を諫めた。だが劉虞は聞き入れなかった。公孫瓚は袁術がこのことを知れば怨みを抱くことを恐れ、そこで自らの従弟である公孫越に一千の騎兵を率いて袁術のもとへ赴かせ、誼を結ぶ意を示した。だが公孫瓚はひそかに袁術をそそのかして劉和を抑留させ、その兵権を奪わせた。この一連の出来事は、劉虞と公孫瓚の間の嫌隙を日増しに深めることとなった c:204。史料における公孫越の記載はここで止まり、その後の結末については触れられていない。

演中(In the Novel)

『三国(さんごく)演義』では、公孫越の形象と結末は史実の記載と異なっており、その登場は主に公孫瓚と袁紹の間の対立を中心に展開される。演義では、公孫越は公孫瓚の弟であり、従弟ではない。彼は第七回に初めて登場し、当時公孫瓚は袁紹がすでに冀州(きしゅう)を占拠したことを知ると、公孫越を袁紹のもとへ遣わし、袁紹に冀州の地を分割するよう要求した c:205。

袁紹は公孫越に対し、公孫瓚自身が直接来て相談することを望むと表明した。公孫越は袁紹に別れを告げ、帰途の途中で待ち伏せに遭った。行くこと五十里に満たぬうちに、路傍から突如一隊の軍馬が現れ、自らを董丞相の家将と称し、乱れ矢で公孫越を射殺した c:205。公孫越の従者は逃げ帰り、その死を公孫瓚に告げた。公孫瓚はこれを聞いて大いに怒り、袁紹がまず自分を誘って韓馥を攻めさせ、機に乗じて冀州を奪い、今また董卓の名を借りて自分の弟を射殺したのだ、この仇を報いずば君子にあらず、と考えた。そこで公孫瓚は配下の兵馬をことごとく起こして冀州へ攻め寄せ、袁紹と磐河のほとりで大いに戦った c:205。

『三国演義』は公孫越の死を通じて、公孫瓚と袁紹の間の全面的な衝突を直接引き起こし、彼を筋立ての展開を推し進める重要な犠牲として造形した。これは、公孫越が公孫瓚によって袁術と誼を結ぶために袁術のもとへ遣わされ、ひそかに袁術をそそのかして劉和を抑留させたとする史料の記載とは大きく異なり、また史料には公孫越の死に方や、彼と袁紹の直接の衝突との関連についても触れられていない。演義のこの改変によって、人物関係はより劇的になり、衝突はより爆発的なものとなっている。

重要な関係

* 公孫瓚(kin_of):公孫越は公孫瓚の親族である。史料では公孫瓚の従弟であり、公孫瓚に遣わされて任務を遂行し、間接的に劉虞と公孫瓚の嫌隙を深める原因となった c:204。演義では公孫瓚の弟であり、彼が殺されたことが直接、公孫瓚と袁紹の磐河の大戦を引き起こした c:205。
* 袁術(史載):公孫越はかつて公孫瓚に遣わされ、一千の騎兵を率いて袁術のもとへ赴き、誼を結ぶ意を示し、その間に公孫瓚はひそかに袁術をそそのかして劉和を抑留させた c:204。
* 袁紹(演義独自):演義では、公孫越の死が公孫瓚によって袁紹の陰謀のせいだとされ、公孫瓚と袁紹が開戦する直接の導火線となった c:205。

象徴的な場面

* 命を奉じて袁術のもとへ赴く(史載):公孫越は公孫瓚の命を受け、一千の騎兵を率いて袁術のもとへ赴き、袁術と誼を結び、その間に公孫瓚はひそかに袁術をそそのかして劉和を抑留させ、その兵権を奪わせた。この出来事は劉虞と公孫瓚の間の対立を激化させた c:204。
* 帰途で乱れ矢に射殺される(演義独自):公孫越は公孫瓚の命を奉じて袁紹のもとへ冀州の分割を要求しに赴いた後、帰途で董卓の家将を偽った伏兵によって乱れ矢に射殺された。この出来事は公孫瓚を直接激怒させ、彼が兵を起こして袁紹を攻めるよう仕向け、磐河の戦いを引き起こした c:205。

人間関係

1 件の関係

登場回2 回 ▸
  • 史ch.8
  • 演ch.7
関係の年表2 条 ▸

史 ch.8

演 ch.7

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私の名は公孫越(こうそんえつ)、字は不詳である。かつて関東で兵が起こり、董卓(とう たく)が天子を奉じて西へ遷ると、京師と諸州を結ぶ道は遮断され、詔命も届きにくくなった。袁紹(えんしょう)、韓馥(かんふく)らは、天下の人心が帰する先はないと
生涯の大事1 ▸