史載(Historical Record)
(史伝の資料なし)
演義(In the Novel)
皇甫嵩(こうほすう)、字は義真は、『三国(さんごく)演義』においては漢末の重要な将領であり、主に黄巾の乱の平定期に活躍する。彼は初登場の時点で朱儁とともに、朝廷の反乱平定の主力将領として現れる c:12870。潁川(えいせん)の戦いでは、劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の三兄弟が加勢に駆けつけ、皇甫嵩は朱儁とともに彼らを迎え、劉備らに広宗県(こうそうけん)へ赴いて盧植(ろ しょく)を支援するよう指示した c:12870。
演義の中で、皇甫嵩の軍事的才能は存分に発揮される。盧植が黄門の左豊(さほう)の賄賂要求に応じなかったために讒言され投獄されると、董卓(とう たく)が盧植に代わって張角(ちょうかく)を包囲攻撃したが、たびたび敗北した。このとき、皇甫嵩は危急に際して命を受け、董卓に取って代わる c:2880。彼が戦場に到着したとき、張角はすでに死去しており、その弟の張梁(ちょうりょう)が残党を統率していた。皇甫嵩は卓越した軍事指揮能力を発揮し、七度の戦に連勝し、ついに曲陽で張梁を斬殺した c:2880。それのみならず、彼は張角の棺を掘り起こし、屍を辱め首を晒し、その首級を都へ送り、黄巾軍(こうきんぐん)の主力を完全に平定した c:2880。
皇甫嵩の功績は朝廷に認められ、車騎将軍に加封され、冀州(きしゅう)牧を兼ねた c:2880。功成り名を遂げた後も、皇甫嵩は旧友を忘れず、朝廷に上表して冤罪を被った盧植の罪をすすぎ、その官職を復させた c:2880。この行いは彼の正直さを示すとともに、朝中における影響力をも反映している。演義はこれらの筋立てを通じて、智勇兼備かつ忠義を備えた将領の像を造形しているが、これら具体的な筋立ては史書には詳細な記載がない。
重要な関係
* 張梁:皇甫嵩は曲陽の戦いで七度の戦に連勝し、ついに張梁を斬殺し、黄巾軍の主力を完全に平定した c:2880(演義独自)。
* 盧植:皇甫嵩は黄巾の乱を平定した後、朝廷に上表して盧植の冤罪をすすぎ、その官職を復させた c:2880(演義独自)。劉備が潁川で皇甫嵩に会ったとき、盧植の意図にも言及している c:12870(演義独自)。
* 朱儁:皇甫嵩は朱儁と黄巾の乱平定の初期に共同で戦い、朝廷が頼りとする将領であった c:12870(演義独自)。
* 劉備・関羽・張飛:劉備の三兄弟は皇甫嵩の指示を受け、広宗県へ赴いて盧植を支援した c:12870(演義独自)。
* 董卓:董卓は張角を包囲攻撃したがたびたび敗北し、後に皇甫嵩に取って代わられた c:2880(演義独自)。
象徴的な場面
* 潁川の戦いでの劉備との初対面:劉備・関羽・張飛の三兄弟が潁川へ加勢に来ると、皇甫嵩は朱儁とともに彼らを迎え、劉備に広宗県へ赴いて盧植に加勢するよう指示した。この場面は、皇甫嵩が朝廷の主将としての指揮権と戦局への判断力を示している c:12870(演義独自)。
* 曲陽で張梁を斬り、張角の屍を辱める:皇甫嵩は董卓がたびたび敗れた後にその位に代わり、七度の戦に連勝し、ついに曲陽で張梁を斬殺した。彼はさらに張角の棺を掘り起こし、屍を辱め首を晒し、その首級を都へ送り、黄巾軍の主力を完全に平定した。この一連の行動は皇甫嵩の軍事的才能を際立たせるとともに、漢室の黄巾の乱に対する最終的な勝利を象徴している c:2880(演義独自)。
* 盧植の名誉回復:黄巾の乱を平定した後、皇甫嵩は朝廷に上表し、冤罪を被って投獄された盧植の罪をすすぎ、その官職を復させた。この場面は皇甫嵩の正直な品性と同僚への思いやりを示すとともに、朝中における彼の影響力を側面から反映している c:2880(演義独自)。
人間関係
2 件の関係
台詞
- 演 ch.1 §26→ 劉備(りゅうび)
「張梁、張寶勢窮力乏,必投廣宗去依張角。玄德可即星夜往助。」
登場回2 回 ▸
- 演ch.1ch.2
関係の年表2 条 ▸
演 ch.2
fights_in
连胜七阵,斩张梁于曲阳
witnesses
表奏盧植有功无罪,朝廷复原官
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
- 私は今、董卓(とう たく)に代わって命を受け、軍を率いるにあたり、目にするのは机上の勝敗ではなく、兵鋒の向かう先と、民が何に懸かっているかである。張角(ちょうかく)はすでに死に、張梁(ちょうりょう)がその軍勢を率いて我が軍と対峙している。賊
生涯の大事1 ▸
- 0184-01-01 · 広宗県(こうそうけん)黄巾の乱(こうきんのらん)· 総大将