言語
黨

黨均

登場回
2
台詞の記録
0
人間関係
2
内面の独白
1

史載(Historical Record)

黨均は、正史『三国志(さんごくし)』およびその関連史料には明確な記載がない。その生涯の事績、官職、そして三国(さんごく)時代の人物との交わりは、いずれも史册に見られず、したがって史伝の材料からその実在や歴史的貢献を考証することはできない。

演中(In the Novel)

黨均は羅貫中の『三国演義』においては虚構の人物であり、主に小説の後期、すなわち蜀漢(しょくかん)末期に登場する。彼は鄧艾(とうがい)配下の謀士として造形され、その主な役割は反間の計を執行して、蜀漢の君臣関係を離間させ、それによって魏国の蜀征伐に有利な条件を作り出すことである。黨均が初めて現れるのは『三国演義』第一百一十三回である。当時、鄧艾は姜維(きょうい)との交戦で利を失い、四箭を負って、司馬望(しばぼう)と退兵の策を協議していた。司馬望は、蜀主の劉禅(りゅう ぜん)が宦官の黄皓(こうこう)を寵信している弱点を利用し、反間の計をめぐらせて、姜維を召し返すことを提起した。この背景のもと、黨均は自ら進んで申し出て、成都(せいと)へ赴いてこの任務を執行する意を表した。

黨均は鄧艾の命を受け、金銀財宝を携えて、密かに成都へ赴き、黄皓と連絡を取った。彼は黄皓を賄賂し、成都で流言を撒き散らして、姜維が劉禅に不満を抱き、曹魏(そうぎ)に投降しようと図っていると唱えた。これらの流言は成都で急速に伝播し、「成都の人々の言うところが皆同じ」になった。黄皓は讒言を信じ込み、このことを劉禅に奏報した。劉禅は果たして計にかかり、ただちに使者を遣わして夜を徹して姜維を召し返し、それによって鄧艾が直面していた軍事的圧力を解いた。

第一百一十四回では、黨均は首尾よく任務を完了した後、祁山(きざん)の寨に戻り、鄧艾と司馬望に成都の状況を報告した。彼は二人に、姜維がすでに召し返され、蜀漢の君臣の間にすでに不和があると告げた。鄧艾と司馬望はこの報せを聞くと、「君臣不和なれば、必ず内変あり」と判断した。その後、黨均は再び命を受け、洛陽(らくよう)へ赴いて司馬昭(しばしょう)にこのことを報告した。司馬昭は蜀漢の内部に矛盾が生じたことを知り、大いに喜んで、蜀征伐の念を抱いた。黨均の演義における役割はここで終わる。彼は肝心な執行者として、魏国の蜀征伐の進展を推し進め、また間接的に司馬昭の蜀征伐の決意をも促した。彼は小説における登場回数は多くないが、その執行した反間の計は物語の展開に重要な推進の役割を果たした。

主要な関係

* 鄧艾(serves):黨均は鄧艾の部下であり、鄧艾に指示されて成都へ赴き反間の計を執行した(演義独自)。
* 司馬昭(serves):黨均は成都の任務を完了した後、鄧艾の命を受けて洛陽へ赴き司馬昭に状況を報告し、司馬昭に蜀征伐の決意を固めさせた(演義独自)。
* 黄皓(利用と結託):黨均は成都へ赴き、賄賂と流言の散布によって、首尾よく黄皓を利用して劉禅と姜維の関係を離間させた(演義独自)。

象徴的な場面

* 命を受けて蜀に入り反間の計をめぐらす:鄧艾が姜維との交戦で利を失った後、黨均は自ら進んで申し出て、金珠宝物を携えて成都へ赴き、首尾よく劉禅と姜維の関係を離間させ、姜維を朝廷に召し返させて、鄧艾の苦境を解いた(演義独自)。この場面は黨均の演義において最も核心的で肝心な行動であり、魏蜀間の軍事的態勢を直接左右した。
* 司馬昭に報告して蜀征伐を促す:黨均は成都の任務を完了した後、洛陽へ赴いて司馬昭に報告し、蜀漢の君臣不和の局面を詳しく説明した。彼の報告は司馬昭の蜀征伐の決意を固め、後の魏が蜀を滅ぼす戦いへの伏線を張った(演義独自)。この場面は黨均の情報伝達者としての重要性を示し、その言辞が魏国の上層部の戦略的決断を直接左右した。

人間関係

2 件の関係

登場回2 回 ▸
  • 演ch.113ch.114
関係の年表2 条 ▸

演 ch.113

演 ch.114

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は黨均(とうきん)、襄陽(じょうよう)の人である。鄧艾(とうがい)の命を受け、金珠や宝物を携えて蜀に入った。私の任務は戦場で刃を振るうことではなく、言葉で人心を動かし、流言で君臣の間を乱すことだった。出立に際して、この任務の危うさは人目に
生涯の大事1 ▸