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文立

字 廣休 · –約279

文立の肖像
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文立(ぶんりつ)は蜀漢(しょくかん)の旧臣で、晋に仕えた後、蜀漢旧臣の子孫らの任用を奏請したことで知られる。

正史 『三国志』巻42 · 『演義』に登場せず

出典

原典に文立が登場する箇所

  • 正史 · 巻 42『三国志』

    …咸熙二年夏,巴郡文立從洛陽還蜀,過見周。周語次,因書版示立曰:「典午忽兮,月酉沒兮。」…
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    時晉文王為魏相國,以周有全國之功,封陽城亭侯。又下書辟周,周發至漢中,困疾不進。咸熙二年夏,巴郡文立從洛陽還蜀,過見周。周語次,因書版示立曰:「典午忽兮,月酉沒兮。」典午者謂司馬也,月酉者謂八月也,至八月而文王果崩。〈《華陽國志》曰:文立字廣休,少治毛詩、三禮,兼通羣書。刺史費禕命為從事,入為尚書郎,復辟禕大將軍東曹掾,稍遷尚書。蜀並於魏,梁州建,首為別駕從事,舉秀才。晉泰始二年,拜濟陰太守,遷太子中庶子。立上言:「故蜀大官及盡忠死事者子孫,雖仕郡國,或有不才,同之齊民為劇;又諸葛亮、蔣琬、費禕等子孫流徙中畿,各宜量才敘用,以慰巴、蜀之心,傾吳人之望。」事皆施行。轉散騎常侍,獻可替否,多所補納。稍遷衛尉,中朝服其賢雅,為時名卿。咸寧末卒。立章奏詩詩賦論頌凡數十篇。〉

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文立(Wen Li)、字は広休、巴郡(はぐん)の人。蜀漢(しょくかん)末から晋にかけて活動し、『三国志(さんごくし)』巻四十二の裴注が引用する『華陽国志』(Huayang Guozhi)に記載がある。『演義』には登場しない。

事績

  • 蜀が魏に併合され、梁州(Liangzhou)が設置された後、文立は別駕従事に任じられ、秀才に推挙された。(史書の記載)
  • 晋の泰始二年、文立は済陰太守に任じられ、後に太子中庶子へ転任した。蜀漢の旧高官や忠臣で戦死した者の子孫を事情に応じて任用し、諸葛亮(しょかつりょう)・蔣琬(しょうえん)・費禕(ひい)らの子孫も才能に応じて任用するよう上奏し、その内容はすべて実施された。(史書の記載)
  • 文立は後に散騎常侍に転任し、たびたび有益な進言をした。さらに衛尉に転任し、咸寧末年に没した。(史書の記載)

関係

  • 費禕は文立を従事に任じ、後に大将軍東曹掾として召し出した。

人間関係

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文立 の人物関係図費禕文立
  • 君臣
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正史 · 巻 42

  • 費禕§73

    主君

    費禕に召し出され、従事・大将軍東曹掾となった