全柔

全柔(Quan Rou)は呉の官吏で全琮(ぜんそう)の父。丹楊都尉・桂陽郡(けいようぐん)太守を務め、全琮の施米を評価した。
出典
原典に全柔が登場する箇所
正史 · 巻 60『三国志』
…父柔,漢靈帝時舉孝廉。補尚書郎右丞,董卓之亂,棄官歸。州辟別駕從事,詔書就拜會稽東部都尉。…
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全琮字子璜,吳郡錢唐人也。父柔,漢靈帝時舉孝廉。補尚書郎右丞,董卓之亂,棄官歸。州辟別駕從事,詔書就拜會稽東部都尉。孫策到吳,柔舉兵先附,策表柔為丹楊都尉。孫權為車騎將軍,以柔為長史,徙桂陽太守。柔嘗使琮齎米數千斛到吳,有所市易。琮至,皆散用,空船而還。柔大怒,琮頓首曰:“愚以所市非急,而士大夫方有倒縣之患,故便振贍,不及啟報。”柔更以奇之。〈徐众评曰:礼,子事父无私财,又不敢私施,所以避尊上也。弃命专财而以邀名,未尽父子之礼。臣松之以为子路问“闻斯行诸?”子曰“有父兄在”。琮辄散父财,诚非子道,然士类县命,忧在朝夕,权其轻重,以先人急,斯亦冯暖市义、汲黯振救之类,全谓邀名,或负其心。〉是時中州士人避亂而南,依琮居者以百數,琮傾家給濟,與共有無,遂顯名遠近。後權以為奮威校尉,授兵數千人,使討山越。因開募召,得精兵萬餘人,出屯牛渚,稍遷偏將軍。
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全柔は呉の官僚で、全琮(ぜんそう)の父である。『三国志(さんごくし)』巻六十に記載があるが、『演義』には登場しない。
事績
漢の霊帝(れいてい)の時代、全柔は孝廉に推挙され、尚書郎右丞に任じられた。董卓の乱(とうたくのらん)が起こると官職を捨てて郷里に帰り、その後、州府に招聘されて別駕従事となり、詔を奉じて会稽(かいけい)東部都尉に任じられた。(史書の記載)
孫策(そん さく)が呉に入ると、全柔は兵を挙げて帰順した。孫策は上奏して全柔を丹陽都尉(たんようとい)に任命した。孫権(そん けん)が車騎将軍に任じられた際、全柔は長史を務め、その後、桂陽郡(けいようぐん)の太守に転任した。(史書の記載)
全柔はかつて、全琮に数千斛の米を持たせて呉の地で交易させた。全琮はその米を士大夫に施して救済し、空船で戻った。全柔はその理由を聞くと、かえっていっそう全琮を重んじた。(史書の記載)
関係
- 全琮の父。

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子
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正史 · 巻 60
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