曹魏 · 羽林監
棗祗

棗祗(そうし)は東阿を守り、屯田を提唱して軍糧を支えた。
登場
正史 3 巻
- 曹魏· 年代不詳
ランキング
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棗祗は曹操(そうそう)方の潁川(えいせん)の人で、かつて東阿(とうあ)令、屯田都尉を務めた。『演義』にはこの人物は登場しない。
事績
- 呂布(りょふ)の乱の際、棗祗は東阿令として吏民を率いて城を堅守し、程昱(ていいく)、薛悌(せつてい)らとともに東阿など三城を守り抜き、曹操の軍が戻るのを待った。(史書の記載)
- 建安年間、棗祗は韓浩(かんこう)らと屯田の提案を行い、曹操はその提案に基づいて屯田を開始した。さらに民を募って許下(きょか)で屯田を行わせ、百万斛の穀物を収穫した。(史書の記載)
- 屯田の実施にあたり、棗祗は官牛を用いて租として穀物を納めさせる方式に反対し、田地を分け与える方法を主張した。曹操はこれを採用して彼を屯田都尉に任じ、田業を整備させた結果、収穫は豊かで軍用を満たした。(史書の記載)
- 曹操は棗祗の功績を称え、郡級の官職を追贈するとともに、棗祗を祭るため、その子の棗処中(そうしょちゅう)を封爵すべきだと述べた。(史書の記載)
関係
- 韓浩らとともに屯田について議論した。
- 曹操は彼を屯田都尉に任じ、その功績を追慕した。
- 子:棗処中。

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