言語
鮑

鮑素

登場回
1
台詞の記録
0
人間関係
1
内面の独白
1

史載(Historical Record)

鮑素は、正史『三国志(さんごくし)』およびその関連史料には明確な記載がない。その生涯の事績、官職、所属勢力、ならびに軍事・政治上のいかなる活動も、史書には見当たらない。したがって、歴史考証の観点から見れば、鮑素は実在の人物ではないか、あるいは少なくともその事績が官撰の史料に記録されていない人物である。

演中(In the Novel)

羅貫中『三国演義』の文学的叙述において、鮑素は蜀漢(しょくかん)の将として登場し、その役割は主に姜維の北伐(きょういのほくばつ)の後期の戦事をめぐって展開する。鮑素の登場と結末は、いずれも姜維(きょうい)の祁山(きざん)地域における軍事行動と密接に関連している。『三国演義』第111回において、姜維は軍を率いて北伐し、祁山を攻め取ろうとした。しかし戦局は順調ではなかった。姜維が魏将の師纂(しさん)・鄧忠(とうちゅう)の伏撃に遭い、さらに鄧艾(とうがい)に三方から挟撃されると、蜀軍は大敗に陥った。幸い夏侯覇(かこう は)が時を逃さず兵を率いて救援に駆けつけ、姜維はようやく窮地を脱することができた。夏侯覇はこの時、姜維に一つの不幸な知らせを報告した。すなわち「祁山の砦はすでに陳泰(ちんたい)に破られ、鮑素は戦死し、砦の人馬はみな漢中(かんちゅう)へ退いてしまった」というのである。

この場面は鮑素の結末を明確に伝えている。彼は祁山の砦を守っているとき、魏将の陳泰に攻め破られ、ついに戦場で討死した。鮑素の戦死は、祁山の砦の陥落を示すだけでなく、この度の姜維の北伐の困境をいっそう深刻にし、姜維に董亭を放棄させ、山間の人里離れた小道へ転じて撤退させることを余儀なくさせた。鮑素の犠牲は、蜀漢後期の人材の凋落と北伐が度々挫折を被ったことの縮図であり、姜維のその後の困境と自らの降格への伏線をも埋めた。演義における鮑素の描写は簡潔ではあるが、辺境の関を忠勇に守り、ついには国のために身を捧げるという形象を彼に与えている。もっとも、この形象は史書には対応するものがない。

重要な関係

* 姜維:鮑素は姜維配下の一将であり、演義では姜維の北伐の事業に尽力した。彼の戦死は直接姜維の軍事的配置に影響を与え、祁山の砦の陥落を招き、姜維に撤退路線の変更を余儀なくさせた。姜維は鮑素の戦死を知った後、北伐が挫折した現実に直面せざるを得ず、最終的に戦事の不利によって自らを降格した。鮑素の犠牲は、姜維の北伐の過程で払われた代償の一つであり、両者の上下級かつ戦友という関係をも体現している(演義独自)。
* 陳泰:陳泰は鮑素の戦死を招いた魏国の将である。『三国演義』において、まさに陳泰が軍を率いて鮑素の守る祁山の砦を攻め破り、鮑素を戦場で討死させた。両者は敵対する陣営の将という関係であり、鮑素の犠牲をもって結末とする(演義独自)。

象徴的な場面

* 祁山の砦での戦死:鮑素の最も主要な、そして『三国演義』が言及する唯一の象徴的な場面は、彼が祁山の砦を守っているときに魏将の陳泰に砦を攻め破られ、ついに戦死したことである。この出来事は夏侯覇が姜維に報告したもので、姜維の北伐挫折の重要な標識となった。鮑素の犠牲は、個人の運命の終わりであるだけでなく、蜀漢の後期北伐における苦難と困境、ならびに将士たちが国のために身を捧げる悲壮さをも象徴している。この場面は鮑素の戦闘の経過を直接描いてはいないが、彼の戦死という結果を通じて、忠誠に国土を守り、勇敢に身を捧げた将の形象を造形している(演義独自)。

人間関係

1 件の関係

登場回1 回 ▸
  • 演ch.111
関係の年表1 条 ▸

演 ch.111

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 山の後ろから土煙が立ち上ったとき、私はこの一戦にもはやためらう余地がないと知った。前軍から伏兵の報告が届き、姜維(きょうい)は急ぎ退却を命じたが、師纂(しさん)と鄧忠(とうちゅう)がまた両翼から突撃し、鄧艾(とうがい)の兵馬も後から駆けつけ