言語
諸

曹魏(そうぎ) · 雍州刺史

諸葛緒(しょかつしょ)

登場回
2
台詞の記録
2
人間関係
3
内面の独白
1

史載(Historical Record)

現存する史料によれば、諸葛緒(しょかつしょ)に関する記載は極めて少なく、ひいては直接の史伝資料はないとさえ言える。『三国志(さんごくし)』などの正史には、明確な伝記や詳細な事績の記載がない。これにより、諸葛緒の歴史上の真の姿は朧げで、その生涯・官職・具体的な貢献あるいは過失は、いずれも正史から考証することができない。したがって、我々の諸葛緒についての理解は、主に『三国(さんごく)演義』などの文学作品の造形に依存している。

演中(In the Novel)

『三国演義』においては、諸葛緒は曹魏(そうぎ)の雍州刺史として登場し、鄧艾(とうがい)の伐蜀の大軍の中の一員の重要な将領である。彼が初めて登場するのは鄧艾が詔を奉じて蜀を伐つ折であり、鄧艾が各路の兵馬を召集して令を聴かせる中に、雍州刺史の諸葛緒がいた c:3598。鄧艾は伐蜀の戦略を部署するにあたり、諸葛緒に一万五千の兵馬を率いさせ、先んじて姜維(きょうい)の帰路を断ち切り、彼を沓中(とうちゅう)に困らせようと意図した c:3598。

しかし、諸葛緒は任務を執行する過程で、その性格の慎重、ひいてはいくぶん臆病な一面を示した。姜維が魏軍の多路の包囲を受け、進退窮まった折、その副将の寧随が計を献じて、姜維に偽って雍州を取らせようとした。姜維はこの計を採って、兵を発して孔函谷に入り、偽って雍州を攻めるふりをした。諸葛緒はその報を聞くと、「大いに驚いて言った、『雍州は吾が合兵の地なり。もし疏失あらば、朝廷必ず罪を問わん』」と c:14474。この朝廷の罪を問うことへの恐れが、彼に急いで主力部隊を撤回させて雍州の救援に向かわせ、ただ少量の兵力のみを残して陰平郡(いんぺいぐん)の橋頭を守らせた。姜維はまさにこの点を利用して、その機に乗じて兵を返し、魏軍の寨柵を焼き払って、突囲に成功した c:14474。

諸葛緒は姜維を追撃して剣閣(けんかく)関の下に至った際、再び姜維と交戦した。姜維は五千の兵馬を率いて関を出て、まっすぐ魏陣に突き、諸葛緒を大敗させて走らせ、数十里退いて寨を下ろさせ、魏軍は死傷無数であった c:6351。この戦いは、諸葛緒の軍事指揮上の不足と、姜維の勇猛善戦をいっそう際立たせた。

その後、諸葛緒は失利と擅自の行動のために、鍾会(しょうかい)に罪を問われた。鍾会は彼が陰平の橋頭を守れず、また許しを得ずに擅自に進兵して失敗を招いたと怒って叱った。諸葛緒は姜維が詭計多端で、偽って雍州を取ったので、雍州を失うことを心配して救援に向かったのだと弁解した。鍾会は大いに怒り、彼を斬首しようとした。幸いにも監軍の衛瓘(えい かん)が制止し、諸葛緒は鄧艾が督する者であって、鍾会が擅に殺すべきではなく、和気を傷つけることを避けるためだと指摘した。最終的に、鍾会は諸葛緒を檻車に乗せて洛陽(らくよう)に押送し、晋公の処断に委ね、諸葛緒の部下の兵馬を収編した c:3958。この出来事はまた、間接的に鍾会と鄧艾の間の矛盾を激化させた。

主要な関係

* 鄧艾(serves):諸葛緒は鄧艾の伐蜀の大軍の部将であり、鄧艾の調遣と指揮に従った c:3598。しかし、彼は最終的に鍾会に押送され、間接的に鄧艾と鍾会の間の嫌隙の深化を招いた(演義独自)。
* 曹魏(serves):諸葛緒は雍州刺史として、曹魏政権の重要な官員であり、命を奉じて伐蜀の戦役に参与した。彼の「朝廷必ず罪を問わん」ことへの憂慮は、彼の朝廷の権威への畏敬を体現している(演義独自)c:14474。
* 姜維(opponent):諸葛緒は伐蜀の過程で、幾度も姜維と交戦したが、いずれも優勢を占めることができず、かえって幾度も姜維の計謀に困らされ、最終的にその部隊が潰敗し、自身も擒えられるに至った(演義独自)c:14474。
* 鍾会(superior/captor):鍾会は伐蜀のもう一路の主帥であり、諸葛緒の失利と擅自の行動に極めて不満で、最終的に彼を擒えて洛陽に押送した(演義独自)c:3958。

象徴的な場面

* 命を奉じて姜維の帰路を断つ:鄧艾が伐蜀を部署する際、諸葛緒に兵一万五千を率いさせ、先んじて姜維の帰路を断ち切らせた。これは諸葛緒が演義において初めて肝要な軍事任務を担う場面である c:3598。
* 姜維の偽って雍州を取る計にかかる:姜維は諸葛緒が雍州の失守を心配し、朝廷の罪を問うことを恐れる心理を利用して、偽って雍州を取り、諸葛緒を撤兵して救援に戻らせ、こうして突囲に成功した。この場面は諸葛緒の性格の弱点と姜維の智謀を十分に示している c:14474。
* 剣閣関の下で大敗する:諸葛緒は姜維を追撃して剣閣関の下に至り、再び姜維の率いる兵に冲き殺されて大敗して逃げ、損失は甚大であった。この戦いは、諸葛緒の軍事能力の不足という人物像をいっそう確認させた(演義独自)c:6351。
* 鍾会に罪を問われ押送される:失利と擅自の行動のために、諸葛緒は鍾会に罪を問われ、危うく斬られそうになり、最終的に檻車に乗せられて洛陽に押送された。この出来事は諸葛緒個人の運命の転機であるのみならず、鍾会と鄧艾の間の矛盾の伏線をも張った(演義独自)c:3958。

人間関係

3 件の関係

台詞

  • 演 ch.116 §17

    「雍州是吾合兵之地,倘若疏失,朝廷必然問罪。」

  • 演 ch.117 §2→ 鍾会(しょうかい)

    「維詭計多端,詐取雍州,緒恐雍州有失,引兵去救;維乘機走脫,緒因趕至關下,不想又為所敗。」

登場回2 回 ▸
  • 演ch.116ch.117
関係の年表2 条 ▸

演 ch.116

演 ch.117

内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
  • 私は鄧艾(Tōgai)征西将軍の命を受け、兵一万五千を率いて、姜維(Kyōi)の退路を先んじて断った。軍令が下ると、私が心に留めたのは、要路を押さえて敵軍が戻って援軍に加われないようにすることだけだった。功名や進退は、国事の後に置くべきもの