史載(Historical Record)
穆順(ぼくじゅん)は史伝の材料に明確な記載がない。『三国志(さんごくし)』などの正史は、穆順という名の人物に言及しておらず、彼に関わる何らかの事件や官職も記録していない。したがって、穆順の生平・本籍・事跡などは、いずれも考証可能な歴史文献において査証する術がない。
演中(In the Novel)
穆順は『三国(さんごく)演義』において悲劇的な色彩を帯びた忠義の士であり、その形象は主に二度の登場を通じて造形される。彼は初めて第五回に現れ、上党太守張楊(ちょうよう)の部将として、十八路の諸侯が董卓(とう たく)を討伐した際、穆順は槍を挺して呂布(りょふ)を迎え撃ったが、呂布に「手より一戟を起こし、馬下に刺さる」 c:2956、呂布の神勇を引き立てる存在となった。この登場は短いものの、その忠勇ながら実力の及ばぬ形象を定めた。
穆順の二度目、より重みのある登場は、第六十六回においてである。この時、彼はすでに献帝(けんてい)劉協の側に仕える宦官となっていた。曹操(そうそう)の権勢が日増しに盛んとなり、簒位を意図する局面に直面して、献帝と伏皇后は憂慮していた。伏皇后はその父の伏完(ふくかん)と書を交わして密謀しようとしたが、身辺の者の多くが曹操の心腹であったため、頼れる者がいなかった。この時、穆順が伏皇后に選ばれ、その「忠義は託すべし」と認められた c:2957。穆順は皇帝の恩徳に感じ、「臣は陛下の大恩に感ず、敢えて死をもって報いざらんや」と表明し c:2957、毅然として密信を伝える重任を引き受けた。彼は伏皇后の書信を髪の中に隠し、伏完の府邸に赴いた。伏完は書中で江東の孫権(そん けん)、西川の劉備(りゅうび)と連合してともに曹操を討つ策略を提出し、返信を書いて穆順に持ち帰らせた。穆順は伏完の返信を頭の髻の内に隠し、宮に帰ろうとした c:12994。しかし、曹操はすでに密報を得ており、宮門で待ち受けていた。穆順は宮に帰る途中で曹操に詰問されたが、初めは信件を捜し出されなかった。だが曹操は疑念を生じ、風が彼の帽を吹き落としたのを口実に、帽を戴き直させたところ、穆順は「両手で逆さまにその帽を戴いた」 c:12995。この細部が曹操の警戒を引き起こし、最終的に穆順の頭髪の中に隠された書信が捜し出された。穆順は捕らえられた後、審訊を受けたが、「招かんとせず」 c:12995、その堅貞不屈の忠誠を示した。彼の犠牲は直接、伏完およびその家族の逮捕、伏皇后の廃位を招き、曹操の残暴と漢室の衰微をいっそう際立たせた。穆順の形象は演義において、漢室の忠臣の縮図であり、その悲劇的な結末は、漢末の乱世への読者の無奈と同情を深めている。
関鍵關係
* 張楊(dies_in):穆順は初めて登場した際、上党太守張楊の部将であった c:2956(演義独自)。
* 劉協(serves):穆順は後期に献帝劉協の側に仕える宦官として、帝后の信任を深く受け、密信を伝えた c:2957(演義独自)。
* 伏皇后(serves):伏皇后は穆順を「忠義は託すべし」と認め、密信を彼に託した c:2957(演義独自)。
* 呂布(dies_by):穆順は虎牢関の前で呂布と交戦し、呂布に一戟で刺殺された c:2956(演義独自)。
* 曹操(dies_by):穆順は献帝と伏皇后のために密信を伝えたことで、曹操に見破られ捕殺された c:12995(演義独自)。
標誌性場景
* 虎牢関にて呂布と戦う:十八路の諸侯が董卓を討伐した際、穆順は張楊の部将として、馬を出して呂布を迎え撃ったが、呂布に「手より一戟を起こし、馬下に刺さる」 c:2956。この場面は呂布の勇猛を際立たせ、また穆順の忠勇と悲壮を描いている(演義独自)。
* 陛下の大恩に感じ、死をもって報いる:献帝と伏皇后が曹操を討つ密謀をした際、穆順が密信を伝えるべく選ばれた。彼は泣いて言った。「臣は陛下の大恩に感ず、敢えて死をもって報いざらんや」と c:2957、漢室への赤胆の忠心を示した(演義独自)。
* 両手で逆さまに帽を戴いて露見す:穆順は宮に帰る途中で曹操に詰問され、信件は捜し出されなかったものの、風で帽が吹き落とされたために「両手で逆さまにその帽を戴いた」 c:12995 という異常な挙動が曹操の疑いを引き起こし、最終的に信件が捜し出され、自らも害された。この細部は穆順の忠烈の形象を表す標誌的な場面となり、また曹操の奸詐と細心さをも示している(演義独自)。
人間関係
3 件の関係
名言
全 4 件の台詞 · 厳選 2 件
「臣感陛下大恩,敢不以死報?臣即請行。」
この一句は穆順(ぼくじゅん)が忠心をもって主を守り、死をも辞さぬ悲壮な姿を示している。
「皇丈可作書覆帝后,求密詔,暗遣人往吳、蜀二處,令約會起兵,討賊救主。」
この計策は穆順(ぼくじゅん)が漢室を救うために外部勢力と積極的に連絡を取る謀略を体現している。
登場回2 回 ▸
- 演ch.5ch.66
関係の年表2 条 ▸
内面の独白 · AI 生成1 段 ▸
- 私は穆順(ぼくじゅん)、宮中に仕えるただの宦官にすぎない。なぜこのような身になったのかと問われれば、昔、并州(へいしゅう)の戦場で上党太守の張楊(ちょうよう)に従って出陣したことを思い出す。諸侯が兵を集めたあの時、呂布(りょふ)が勢いに乗じ